『ドンケツ 15巻』

たーし『ドンケツ 15巻』(少年画報社、2015年)は、前半はロケマサが事務所を持つ話である。一休み的な内容であるが、ロケマサの規格外の強さが分かる話である。オカルト的な内容で好き嫌いが分かれるところである。ヤクザは縁起を気にする存在である。今回のような話があってもよい。

後半は内部抗争のキナ臭い話に戻る。敵となる十五夜組は違法薬物売買で利益をあげる外道である(林田力『危険ドラッグの話題は禁止』「『ドンケツ 14巻』ドラッグは悪」)。ヤクザというよりも関東連合のような半グレ・ヤンキーに近い。これが叩き潰す敵であることは問題ない。

一方で十五夜組は本家の中では地位が低く、十五夜組に担がれる大物ヤクザがいる。この大物ヤクザは十五夜組に操られる傀儡的なポジションで終わると思われたが、意外にもヤクザらしさを発揮した。彼が十五夜組を切り捨てる展開もあるかもしれない。


『ドンケツ 14巻』ドラッグは悪

たーし『ドンケツ 14巻』(ヤングキングコミックス、2015年)は十五夜組との対決前夜である。この巻では十五夜組の外道ぶりが明らかになる。十五夜組はヤクザ組織であるが、実態は半グレに近い。

『ドンケツ』はヤクザ漫画である。現実においてヤクザは反社会的勢力である。それでもヤクザを主人公とした漫画が成り立つ理由は、主人公のヤクザが悪玉ヤクザを叩きのめしてくれるからである。現実社会ではヤクザより悪質な半グレ集団がのさばっている。そのような外道を叩きのめせる存在はアウトローくらいではないか。ここにヤクザ漫画のリアリティーが成立する。

多くのヤクザ漫画では主人公ヤクザと悪玉ヤクザを分ける要素は薬物である。主人公側は薬物を御法度とするが、悪玉ヤクザは薬物で儲けている。薬物関係は悪玉という図式が成り立つ。『白龍』などと同じく、この図式は『ドンケツ』にも該当する。

主人公側にも薬物をシノギとすることへの誘惑に囚われる人物が出てくる。その手法は病院の処方箋を悪用したものである。社会問題になっている危険ドラッグに重なる。ドラッグに関わることは悪という価値観の徹底を期待する。


『ドリフターズ』第1巻、歴史上の人物のオールスター戦

本書(平野耕太『ドリフターズ』第1巻、少年画報社、2010年)はタイトルだけでは何の漫画か想像できない作品である。本書のドリフターズとは異世界からの漂流物・漂流者のことである。関ヶ原の合戦で孤軍奮闘した島津豊久はエルフなどのすむ異世界に漂流させられる。その世界には織田信長や那須与一も漂流していた。
この巻では未だ豊久と出会っていないが、古代カルタゴの名将ハンニバルやローマのスキピオも漂流者である。敵方の「廃棄物」にもジャンヌ・ダルクやラスプーチンとそうそうたる顔ぶれで、歴史上の人物のオールスター戦という想像力をかきたてる物語になっている。(林田力)

『ハルカの陶』落ち着いた感覚が和ませる

本書(西崎泰正原作、ディスク・ふらい作画『ハルカの陶 第1巻』芳文社、2011年)は陶芸作家を目指す女性の物語である。都会で会社勤めをする女性がデパートの展示会で見た備前焼の大皿に惹かれ、退職して陶芸家に弟子入りを志願する。都会とは異なる落ち着いた感覚が和ませる作品である。(林田力)

『イキガミ』第9巻、人間ドラマから国繁制度の是非へ

間瀬元朗が『ビッグコミックスピリッツ』で連載中の漫画『イキガミ』第9巻が6月30日に発売された。『イキガミ』は国民に生命の価値を再認識させるために「国家繁栄維持法」(国繁)という法制度のある架空の現代日本「この国」が舞台である。全国民の1000分の1に逝紙(イキガミ)という死亡予告証が届けられ、逝紙が届けられてから24時間後に確実に死ぬ(国繁死)という恐ろしい制度である。松田翔太主演で2008年に映画化された。
『イキガミ』の主人公は逝紙を配達する藤本賢吾である。藤本が逝紙を配達することで、受け取った相手は自分が24時間後に死亡するという辛い現実を突然知ることになる。その現実に直面した本人や家族の葛藤が物語の中心である。逝紙配達後24時間で死亡するという設定は絶対的で、制度を曲げて人情味のある結末にはならない。暗い絶望的な結末が多いが、その圧倒的な絶望感に引き込まれる読者も多い。
24時間後に死亡するという絶望的な状況に置かれた若者の様々な行動をオムニバス的に描いてきた『イキガミ』であったが、この巻ではドラマが動き出した。そもそも国繁制度は1000分の1の確率で国民を殺す理不尽な制度である。人口の1000分の1と言えば膨大な数であり、それだけの国民を殺したならば虐殺として非難されるものである。それでも国繁制度が成り立っている理由は、逝紙が純粋にランダムに配達されるためである。
国繁死者の一人一人は分断されており、これまでは逝紙が配達された個人や家族のドラマにとどまる傾向があった。ほとんどの国民は自分や家族が国繁死の対象になるまで、国繁制度に対して思考停止している。この点は、まとまった被害者がいると社会問題になるが、どれほど理不尽な状況に置かれていても個々人の問題ならば取り上げられない日本社会の現実に重なる。
ところが、この巻では国繁死の対象になった女性が小学校に入学する児童と父母の前で、児童の一人を人質にとって国繁制度の非合理を訴えた。それによって父母達は国繁制度を自分達の問題として考える動きを見せた。
また、この国の欺瞞も明らかになる。この国では軍隊を持たず、同盟軍が防衛を担う仕組み(安全負担条約、安負条約)になっている。この安負条約によって国民が戦争から解放されたことが、生命の価値を再認識させる国繁制度の導入理由になっていた。
この巻では領土紛争を抱える連邦との緊張が高まり、ミサイルが撃ち込まれる。本来ならば安負条約に基づいて同盟軍が応戦するが、同盟軍は中東派兵で手一杯で心もとない状況である。そこで国繁警察が極秘で拘束中の退廃思想者(国繁制度に反対する思想を持つ者)を徴兵し、支援部隊に動員しているという噂を藤本は耳にする。国繁制度の根幹と矛盾する動きに藤本は激しく動揺する。
死までの残された時間をどう生きるかという個人レベルのドラマから、国民に理不尽な死を強いる国繁制度の是非、さらには国家権力への抵抗運動へと物語の方向性の転換点となった巻であった。(林田力)

『太陽の黙示録 建国編 第1巻』戦後と重なる再建の物語

本書(かわぐちかいじ『太陽の黙示録 建国編 第1巻』小学館、2008年6月30日発行)は死亡者2000万人、行方不明者4000万人を出した日本大震災後の日本を描いた漫画である。震災の影響で東京や大阪は水没し、本州は南北に分断された。日本は壊滅的な打撃を受け、北日本(ノースエリア)は中国、南日本(サウスエリア)はアメリカが復興を支援することになった。その結果、それぞれの地域で支援国の影響を受けた政府が分立し、東西ドイツや南北コリアのような分断国家となった。

震災が作品の出発点であるが、本題は震災による破壊自体よりも、震災後の政治と社会、そして人間である。本書は第1巻であるが、17巻まで続いた第1部「群雄編」の続きである。「建国編」とあるとおり、難民として世界中に散らばった日本人が暮らすための、北でも南でもない第3の国の建国を志向する。

『太陽の黙示録』の興味深い点の一つは登場人物が三国志をモチーフにしている点である。例えば主人公の柳舷一郎は劉玄徳に由来する。他にも羽田遼太郎は関羽、張宗元は張飛、宗方操は曹操に対応する。諸葛亮に因む葛城亮が柳舷一郎の仲間になり、新たな国作りを目指す建国編は、天下三分の計を髣髴とさせる。

ノースエリアもサウスエリアも、それぞれの支援国であるアメリカと中国の悪い部分が極度に肥大化しており、望ましい社会から程遠い。これに対し、柳舷一郎らは自給型経済と非暴力不服従を理念として、新たな日本の建国を目指す。

この展開は戦後の日本をなぞらえているように感じられる。思うに震災後の日本は敗戦で焼け野原になった日本である。そして戦後日本は植民地支配による搾取を行わず、戦争を放棄することを出発点とした。これが自給型経済と非暴力主義に対応する。

しかし、高邁な理念と比べ、戦後日本の実態は、あまりにも中途半端なものであった。戦争放棄を謳った憲法9条は維持されているものの、自衛隊はアメリカの世界戦略に組み込まれつつある。また、直接的な植民地支配はしていないものの、日本企業の発展途上国への進出は、新植民地主義に基づく経済的搾取と批判されている。

そこで大震災によって戦後日本を破壊し、中途半端になっている戦後日本の歩みを、もう一度やり直すことが本作品の狙いかもしれない。リセット願望や「希望は、戦争」という赤木智弘氏の主張と共通するメンタリティが感じられるが、破壊後に目指す理念が自給型経済と非暴力不服従という点は興味深い。

その意味で本作品の描かれる先には大いに注目している。上述の理念を本質的なものとして、どこまで追求できるかが問題である。戦後日本は理念を置き去りにして、ひたすら経済大国への道を邁進した。

本作品でも日本に帰国したい数百万人の難民がおり、彼らが生活できるようにすることが優先的に求められる。仮に焼け野原から経済大国にしてしまうような、ひたすら前に進むだけの発想で乗り切るならば、戦後日本の繰り返しとなってしまう。新たなる日本がどのように描かれるか、注目したい。

『ジパング第36巻』架空戦記でも日米の差

本書(かわぐちかいじ『ジパング第36巻』講談社、2008年7月23日発行)は講談社発行の週刊マンガ雑誌「モーニング」で連載していた架空戦記物の単行本である。太平洋戦争の時代にタイムスリップした海上自衛隊のイージス艦「みらい」の戦いを描く。

最新鋭の武装と未来世界の知識を有する「みらい」の介入により、本作品では実際の太平洋戦争とは異なった経過をたどる。しかし、原則として「みらい」は専守防衛や人命尊重をモットーとし、戦争への介入は謙抑的である。この点で自衛隊の一団が戦国時代にタイムスリップして天下統一を進める『戦国自衛隊』や、パラレルワールドで日本軍が米軍を撃破する『紺碧の艦隊』とは一線を画する。

実際の太平洋戦争のような破滅的な日本軍の敗退は回避できているものの、本作品でも米国との圧倒的な国力差から日本軍は守勢に立たされつつある。山本五十六・連合艦隊司令長官も史実に近い形で戦死した。そして日本の政府や軍部首脳が戦争終結の展望を描けないでいる点も史実と同じである。「みらい」と接触した何人かは早期講和の意欲を持つが、積極的な動きにはなっていない。

一方、「みらい」から日本の未来を知った帝国海軍参謀・草加拓海は歴史を改変し、新たな日本「ジパング」創生を目指す。その具体的行動は反乱という形をとったことは興味深い。草加の計画を実現するためには日本軍という組織には柔軟性が欠けていた。

草加は「みらい」で得た情報を元に原子爆弾を極秘に開発し、戦艦大和に搭載した上で、大和を乗っ取る。原爆の使用を阻止すべく、「みらい」乗員が大和に乗り込み交戦する点が本巻のメインストーリーである。

一方、米国も草加が核兵器を開発した可能性に気付き、ルーズベルト大統領が決断を下す。この決断が良くも悪くも世界を導く大国アメリカらしい内容であった。斬新な計画を反乱という形でしか実現できない日本と、トップが謎の解明を積極的に命じるアメリカは非常に対照的である。

同じ著者の『沈黙の艦隊』では日本初の原子力潜水艦の乗員になった自衛隊員らが反乱を起こし、独立国家「やまと」を名乗る。「やまと」という国名が象徴するとおり、当初は対米従属のままでいる日本政府に変革を求める要素が強かった。

しかし物語の進展によって明らかになった作品の主題は核戦争の廃絶という普遍的なテーマであった。ここには原潜の国名が「やまと」である必然性は存在しない。実際、物語の終盤では米国や国連が舞台となり、重要な決断を下したのも米国大統領であった。

たとえ日本人による日本人向けのマンガであっても、大きなテーマでリアリティを持った作品を描く上で日本という社会は卑小である。本作品のタイトルは『ジパング』であり、日本という国がテーマである。その本作品においてもアメリカの動きが興味深く映ることに日本とアメリカの越え難い差を感じてしまう。

タイムスリップ物は歴史のifを追求するものだが、歴史を根本的に変えてしまうと作品のリアリティが失われてしまうという二律背反の世界である。『ドラえもん』のようにタイムマシンで過去に戻ったことが織り込み済みで現在があり、それが伏線になっていたという話がタイムスリップ物では上手なまとめ方になる。

これまで『ジパング』では個々の戦闘は歴史と異なる結果となっているが、大局的には太平洋戦争の経過通り、日本が追い込まれつつある。しかし、原爆開発だけでなく、中国では満州国皇帝暗殺や毛沢東との会談など歴史を大きく変えかねない動きが展開している。

最新鋭の装備の大半が損壊した「みらい」は、この先、長期に渡って戦いを続けることは難しくなった。物語が佳境に入ったことは確かである。今の戦いを解決しただけでは物語としてはまとまらない。風呂敷は大きく広がっている。どのような形で本作品がまとまるのか注目していきたい。

宗教ネタが深まる『聖☆おにいさん』第6巻

中村光が『モーニング・ツー』で連載中のコメディ漫画『聖☆おにいさん』第6巻が12月24日に発売された。目覚めた人・ブッダ(釈迦)と神の子・イエス・キリストがバカンスで下界(現代日本)に降りてきて、東京都立川の安アパートで共同生活を送るという設定である。
聖人をコメディの対象とする斬新な設定と、あまりに人間臭く描かれた聖人の下界生活が大きな話題となった。その後、連載の長期化につれ、宗教や神話に由来するネタが深くなっていった。第6巻ではロンギヌスの槍やユダの聖書など、あまり日本では知られていない宗教的なネタが満載である。
その結果として作品を楽しむ前提知識のハードルが高くなったことは否めない。この点で好き嫌いが分かれるところであるが、設定の物珍しさだけでは作品は長続きしない。世間ずれしていない若者の日常生活を描く単なるギャグ漫画ではなく、聖人を主人公とした漫画にとって必然的な展開である。
信仰の対象である聖人をコメディの登場人物にする『聖☆おにいさん』は宗教家から不敬と非難される可能性がある。デンマークの日刊紙に掲載されたムハンマドの風刺漫画は大きな国際問題になった。世界に例を見ないほど宗教性の薄い日本社会だから成立する作品である。
一方で『聖☆おにいさん』はムハンマド風刺漫画とは異なり、特定の宗教を扱き下ろす作品ではない。逆に宗教への理解を深めている面もある。『聖☆おにいさん』のファンの集まるコミュニティサイトなどでは、作品に登場する宗教的なネタの由来について活発に意見交換されている。『聖☆おにいさん』が宗教的な知識を身につける入口になっている。
宗教の名において現代でも多くの血が流され続けていることを考えれば、現代日本が無宗教的な社会であることには積極的に評価できる面もある。しかし、それは宗教に対して無知や無関心であることを是とするものではない。
古今東西の人間社会の大半は宗教が文化のバックボーンとなっており、宗教の理解なくして異文化は理解できない。現代日本は無宗教的であるために、海外では常識化している宗教知識さえ身につけられないまま成長してしまう。それを本来なら不敬な作品である『聖☆おにいさん』によって補うという皮肉な状況が生まれている。
『聖☆おにいさん』は思い切った作品であるが、作者は漫画家としてもタブーを恐れていない。第6巻では過去の『週刊少年ジャンプ』を「豪華なアイテム」と表現している。『ドラゴンボール』や『スラムダンク』、『幽々白書』などジャンプ黄金時代の人気漫画が掲載されているためである。『聖☆おにいさん』の出版元は講談社であり、大人の事情を優先させるならば『週刊少年マガジン』が来るところである。今後も期待できる作品である。

『荒川アンダー ザ ブリッジ』第12巻、ホームレスの独自文化

中村光が『ヤングガンガン』に連載中の漫画『荒川アンダー ザ ブリッジ』第12巻が、7月25日に発売された。『荒川アンダー ザ ブリッジ』は荒川河川敷に住む電波系の住民の常識外れの言動を描くギャグ漫画である。林遣都主演で7月26日からテレビドラマが放送され、2012年2月4日には実写映画が公開される。
主人公の市ノ宮行は大財閥の御曹司で、自らも多数の会社を経営する大学生である。荒川河川敷の住人・ニノに助けられたことをきっかけとして、リクと名づけられ、河川敷に居住することになる。自らを河童と主張する「村長」など個性的という言葉を超越した電波系の住民に振り回されながらも、楽しい日々を送っている。
一般化すれば経済的には恵まれているが、精神的には貧しい人間が、ホームレスという社会的には下層に属するが精神的には豊かな人々と交わることで人間性を取り戻す物語である。過去にはリクが河川敷の生活を守るために厳格な父親に抗議するという精神的成長を描くエピソードもあった。
しかし、この巻ではリクの特殊設定は登場せず、ひたすら河川敷の住民に振り回される一般人になっている。ニノとの恋も元々は金星人を自称するニノが地球人の恋を知るために恋人になることを求めたものであった。これも、この巻ではリクがニノの気を惹こうと必死である。好きな女性を振り向かせたい普通の男性になっている。
心の貧しい金持ちが心の豊かなホームレスと交わることで人間性を取り戻すという物語は王道的であるが、欠陥を抱えたものである。何故ならば金持ちは幸せで、ホームレスは不幸という前提があって初めて新鮮さが生じるからである。
しかし、経済的な貧富と精神的な幸不幸が別次元の問題であることは既に十分に知れ渡っている。「ホームレスは、実は心が豊かな人々でした」という設定は陳腐である。実際、ヨーロッパなどではスクワッターと呼ばれる廃屋を占拠するホームレスの一団が独自の文化を築いている。
『荒川アンダー ザ ブリッジ』の河川敷の住民も一般社会とは別次元の豊かな文化体系を有しているスクワッターである。この巻では心の貧しい金持ちと心の豊かなホームレスという陳腐な設定が退くことで、無茶苦茶な河川敷の住人の暴走ぶりを純粋に楽しめる抱腹絶倒のコメディーになった。
(林田力)

『手塚治虫のブッダ』カースト制度の苛烈な現実を描く人間ドラマ

5月28日から公開中の『手塚治虫のブッダ -赤い砂漠よ!美しく-』が好評である。吉永小百合や堺雅人、吉岡秀隆らが声優を務め、ロックバンド「X JAPAN」が主題歌「Scarlet Love Song」を担当したことでも話題になっている。
『手塚治虫のブッダ』は手塚治虫の漫画『ブッダ』を原作とするアニメ映画で、仏教の開祖・シッダールタの生涯を描く。映画は三部作として構想され、第一部に相当する『赤い砂漠よ!美しく』ではシッダールタが王族の地位を捨て、僧としての道を歩むまでを扱う。そのために冒頭に登場するウサギの自己犠牲や、畜生道に落とされたバラモン・ナラダッタなどのエピソードが未解決のままで終わっている。
『ブッダ』の序盤ではスードラ(奴隷階級)のチャプラの物語が中心になる。これは映画でも踏襲しており、チャプラの物語とシッダールタの物語が並行して展開される。予告編などではコーサラ軍を率いるチャプラとシャカ軍を率いるシッダールタが戦場で激突するシーンが強調されているが、二人の接点は乏しい。シッダールタと無関係なところでチャプラの物語は幕を閉じる。
悟りを開くに至っておらず、出家しただけのシッダールタの物語に比べると、チャプラの物語は波乱万丈でドラマチックである。それ故に辛辣な評価をすれば『赤い砂漠よ!美しく』はチャプラの物語が主体で、シッダールタの苦悩は添え物になる。それでもチャプラの物語をメインに描くことは、シッダールタの求道の必然性を浮かび上がらせる効果がある。
当時のインドはカースト制度による差別と貧困という社会矛盾を抱えていた。これは城を出て人々の生活を観察するシッダールタの目を通しても描かれるが、自身がスードラとして虐げられているチャプラの物語の方がインパクトは強い。チャプラの物語によってカースト制度の過酷な現実が明らかになる。そのチャプラは虐げられた生活から抜け出すため、身分を隠してクシャトリアに成り上がろうとする。
シャカ族の王子であるシッダールタは政治によって社会問題を解決できる立場にある。シッダールタがカースト制度や国同士の戦争に疑問を抱いていたとしても、出家という選択は必然ではない。むしろ王族の責務を放棄した逃避と否定的な評価も可能である。しかし、政治的に成り上がることでカースト制度の社会矛盾から抜け出そうとしたチャプラの悲劇によって、宗教に救いを求めたシッダールタの選択に説得力を与えた。(林田力)

『AZUMI-あずみ-』第8巻、泥まみれの下層民のリアルな描写

小山ゆうが『ビッグコミックスペリオール』(小学館)で連載中の漫画『AZUMI-あずみ-』第8巻が5月30日に発売された。この巻では前巻に引き続き、「あずみ」が朝廷に攘夷論を吹き込む聖覚院慈行の暗殺を目論む。
『AZUMI』は上戸彩主演で実写映画化もされた漫画『あずみ』の続編である。『あずみ』は江戸時代初期を舞台に刺客として育てられた少女「あずみ」の戦いを描く作品である。『AZUMI』は幕末に舞台を移し、同じ「あずみ」という名前の少女が刺客となって戦う。『あずみ』とは時代が離れており、ストーリーは直接結びつかない。手塚治虫『火の鳥』の猿田のように、「あずみ」のキャラクター設定が利用されている。
『AZUMI』は武田鉄矢原作で小山が作画した『おーい!竜馬』のクロスオーバー作品でもある。『お?い!竜馬』は坂本竜馬を主人公にした作品で、竜馬や岡田以蔵、武市半平太らが同じキャラクターとして『AZUMI』に登場する。この巻では以蔵が勝海舟の護衛をしている頃であるが、その以蔵が「あずみ」に恋をする。竜馬中心の『おーい!竜馬』では以蔵は悲劇性が強調されていたが、それに比べると『AZUMI』の以蔵は焦燥感が少ない。「あずみ」への恋によって以蔵の人間味を浮かび上がらせている。
『あずみ』と共通する『AZUMI』の特徴は、あどけない少女が剣豪さえも打ち破るところにあるが、あずみの実力は敵と比べて圧倒的である。勝負はあっけなく決着し、バトルマンガのようなハラハラ感はない。しかし、それ故に戦いのリアリティが存在する。「あずみ」のような超人的少女は非現実的な存在だが、一瞬で決着をつける「あずみ」の戦いぶりが戦闘のリアリティを補っている。
さらに『あずみ』と共通する『AZUMI』のリアリティは必死に生きる下層民を描いていることである。「あずみ」自身は洋風の装いで時代から浮いている存在である。この点は伊達政宗がハーレーに乗る『戦国BASARA』のようにファンタジー系の歴史物と類似性がある。
しかし、『あずみ』も『AZUMI』も歴史をファンタジーの世界として描いていない。作中には泥にまみれて生活する下層の人々が描かれる。彼らは虫けらのように踏みにじられながらも、必死に生きている。そこには生々しい生がある。これは本格的な時代劇として時代劇通に評価が高かった2007年放送の大河ドラマ『風林火山』に通じるものがある。「あずみ」の活躍だけでなく、下層民のリアルな描写にも注目である。(林田力)

『ゴルゴ13』第160巻、デューク東郷の両親の謎

さいとう・たかをがビッグコミックで連載中の漫画『ゴルゴ13』第160巻が4月5日に発売された。『ゴルゴ13』は一流のスナイパー・ゴルゴ13(デューク東郷)による超人的な暗殺ミッションを描く劇画である。1968年から連載を続けている長寿劇画で、ゴルゴ13はスナイパーの代名詞になっているほど有名な存在である。
この巻ではサブタイトルになった「亜細亜の遺産」に加え、「亜細亜の遺産 その後」「カメレオン部隊」の3編を収録する。『ゴルゴ13』は基本的にオムニバス形式であるが、「亜細亜の遺産」と「亜細亜の遺産 その後」は連続した話で、父と兄を殺された女性の復讐がテーマである。
ゴルゴ13は正体不明の人物である。正体不明の人物に対しては、その正体を探りたくなるものである。『ゴルゴ13』にもゴルゴ13のルーツに迫る話が数多く存在する。そこでは日本軍の工作員やユダヤ人、ロシアのロマノフ王朝の末裔、ジンギスカンの末裔など様々な人物がゴルゴ13の両親として推測されている。しかし、ルーツ探究モノの推測は最後に否定されるか、真偽不明のまま終わるかのいずれかで、ゴルゴ13の素性は依然として不明である。
「亜細亜の遺産」もゴルゴ13のルーツが背景となっているが、異色である。ルーツ探究モノはジャーナリストなどの執念の追及によって、謎が少しずつ明らかになるパターンが定番であるが、「亜細亜の遺産」では比較的あっさりとゴルゴ13の両親が明かされる。しかも、DNA鑑定という信頼性の高い証拠まで登場する。
「亜細亜の遺産」ではゴルゴ13が日本の古武術を身に着けた暗殺者に狙われる。暗殺者は周到に計画して攻撃するが、ゴルゴ13は冷静に反応する。相手の行動から相手の意図を見抜き、自分の動きに対する相手の反応から推測の正しさを裏付ける。優れた直観力を持つだけでなく、直感の正しさを確認する冷静さも持ち合わせている。ゴルゴ13が一流のプロフェッショナルとされる所以である。(林田力)

『ゴルゴ13』第161巻、秘密兵器の意外な正体

本書(さいとう たかを『ゴルゴ13 第161巻』リイド社、2011年)は一流のスナイパー・ゴルゴ13(デューク東郷)による超人的な暗殺ミッションを描く劇画である。この巻は「バライバ・ブルー」と「THE MOBS」、「依頼保留(ペンディング)」の三作を収録する。
サブタイトルにもなっている「バライバ・ブルー」は希少鉱石の取引の背後にある陰謀と失踪した日本人鉱石バイヤーの謎を明らかにする。「依頼保留」は依頼を聞きに来たデューク東郷がテロリストの襲撃に巻き込まれ、人質になってしまう。立てこもり事件を鎮圧する米国陸軍の秘密兵器の意外な正体に驚かされる。(林田力)

『ゴルゴ13』第162巻、ノモンハン事件の一面を描く

さいとう・たかをが『ビッグコミック』で連載中の漫画『ゴルゴ13』第162巻が、9月5日に発売された。サブタイトルとなった「ノモンハンの隠蔽」ではノモンハン事件の一面を描く。
ノモンハン事件は1939年に起きた日本とソ連による宣戦布告なき戦争で、日本軍は大打撃を受けた。日本陸軍の精神力重視の白兵突撃がソ連の戦車部隊に完敗した戦争として知られている。太平洋戦争の無条件降伏に至る日本軍の無謀な戦争の原点とも見られている。その典型は司馬遼太郎で、「ソ連の戦車集団と、分隊教練だけがやたらとうまい日本の旧式歩兵との鉄と肉の戦い」と評している(『司馬遼太郎が考えたこと2』)。
「ノモンハンの隠蔽」でも関東軍参謀本部の無策や横暴、見通しの甘さ、精神主義の押しつけが描かれている。敗戦の責任を負うべき参謀が敗戦の原因を隠蔽し、戦後は電鉄会社の経営者になるなど指導者層の醜さも描く。
一方でバンザイ突撃を強行して犠牲者を出すばかりであったという無謀で愚かな日本軍という視点とも一味異なる。日本軍も戦車の有効性を理解し、戦車部隊を繰り出すが、ソ連軍の方が一枚上手であったとの位置づけである。また、ソ連軍の被害の大きさを示す資料も引用している。
この「ノモンハンの隠蔽」はノモンハン事件の従軍兵士の息子が戦場に隠された「遺品」を取りに行く話である。病床の元兵士と異なり、息子本人には目的意識が明確ではない。ゴルゴ13も脇役的な役回りで、物語中の主人公的存在とは直接関わらない。ノモンハン事件の真相に到達しながらも、それによって巨悪を弾劾せずに終わっており、フラストレーションの残る終わり方である。
これに対して次の「海の鉱山」はゴルゴ13が自らのルールを貫徹するストーリーである。ゴルゴ13はスペインのバスク地方でテロ組織の幹部の暗殺依頼を遂行する。しかし、テロ組織の幹部と説明された人物は、鉱山用タイヤメーカーの工場長であった。不審を抱いたゴルゴ13は依頼の真相を調査する。ゴルゴ13のプロフェッショナルの誇りと執念深さが示された。
最後の「鶏は血を流す」は傭兵志望の少年の目からゴルゴ13を描く。ゴルゴ13が物語の主人公的存在に絡まない話に、ゴルゴ13が主役の話、第三者の目から見たゴルゴ13の話とバランスのとれた内容になっている。
(林田力)

『義風堂々 前田慶次酒語り』第1巻、『花の慶次』を大胆に再構成

武村勇治が『月刊コミックゼノン』で連載中の歴史漫画『義風堂々!!直江兼続 前田慶次酒語り』第1巻が、4月20日に発売された。『義風堂々』は原哲夫の人気漫画『花の慶次 雲のかなたに』のスピンアウト作品で、原作者に原と堀江信彦が名を連ねる。前田慶次の莫逆の友・直江兼続の人生を描く。
もともとは『義風堂々!!直江兼続 前田慶次月語り』と題して『週刊コミックバンチ』で連載されていた。晩年の慶次が若い頃の兼続の人生を語るという形式で、新発田重家の乱の鎮圧までを扱った。兼続は前田慶次に会う前であり、基本的に本編で慶次は登場しない。
掲載誌を『月刊コミックゼノン』に移した『酒語り』では、慶次と兼続が酒を飲みながら、二人が出会った後の出来事を昔語りする。『花の慶次』の出来事を、兼続を主人公として再構成する。『花の慶次』ファンにとっては懐かしさもある内容である。
前田慶次は原哲夫にとって最も成功したヒーローである。圧倒的な強さだけでなく、清々しい性格が周囲を魅了する。原哲夫の代表作と言えば『北斗の拳』であるが、キャラクターのインパクトは主人公のケンシロウよりも、ラオウを筆頭とする脇役陣が強い。『北斗の拳』の世界観を継承した『蒼天の拳』の主人公・霞拳志郎の性格はケンシロウよりも慶次の影響を受けたものになっている。
そのような慶次を『義風堂々』の本編に登場させることは作品の魅力を向上させるが、難しさもある。『花の慶次』の兼続は慶次の莫逆の友であり、理解者であったが、対照的な存在でもあった。傾奇者の慶次に対し、兼続は常識人であり、慶次と比べると優しさや甘さがあった。それ故に『花の慶次』では慶次が主人公として引き立てられた。一方、『義風堂々』では兼続自身が慶次の存在に近い。そこに慶次を登場させるならば、二人の傾奇者が存在するようなものになり、両者を共に輝かせるという技量が求められる。
この巻では兼続と慶次の最初の出会いと「佐渡攻め」のエピソードが収録されている。最初の出会いは『花の慶次』とは全く別の話である。共に上杉家家臣の揉め事を発端とするが、登場人物も設定も異なる。『花の慶次』では対立する側も最後には「いくさびと」の心意気を理解して大団円となるが、『義風堂々』では義のない人間を冷たく切り捨てた。
兼続には兜の前立ての文字「愛」を現代的に解釈して優しいイメージが付されがちである。しかし、兼続には「死者を生き返らせろ」と要求する人の首をはねて閻魔大王への死者としたというトンチが効いているが残酷なエピソードも伝えられている。『義風堂々』の兼続も自らがモットーとした「義」の苛烈さを描いている。
次巻に続く「佐渡攻め」は『花の慶次』を踏襲するものの、佐渡の国人の背後には豊臣秀吉や前田利家の陰謀があるという設定が加えられた。『花の慶次』では慶次にやりこめられる小人として描かれた利家も、上杉家の視点では越後や佐渡を狙う有力大名という脅威になっている。そのような利家の存在が、上杉家の佐渡攻めに慶次が参戦する意味を強める。『花の慶次』を大胆に再構成した『前田慶次酒語り』の展開に注目である。(林田力)

『白竜』『静かなるドン』に見るヤクザ漫画の方向性

社会人向け漫画雑誌で連載中の好評漫画『白竜LEGEND』と『静かなるドン』の単行本最新刊が2010年9月に相次いで刊行された。両作品はヤクザ漫画の方向性を示しているように思われる。
「週刊漫画ゴラク」で連載中の『白竜』(天王寺大原作、渡辺みちお画)は構成員僅か数十人の弱小組織・黒須組の若頭・白竜こと白川竜也を主人公とした作品である。話の中心は暴力団のシノギである。稲川会による東京急行電鉄株買占め事件など現実に起きた事件を下敷きにすることが多く、劇画的な意味でのリアリティがある。
相手の弱みを握り、脅しによって法外な金を引き出すシノギばかりであるが、原則として脅しの対象は不正を働く大企業の経営者など悪人である。そのために白竜は決して正義ではないが、悪人の破滅が観られる点で勧善懲悪物を読むような爽快感が味わえる。
ヤクザ漫画と言えばヤクザ映画と同じく、組織間の抗争を想起しがちである。しかし、暴対法施行など暴力団を取り巻く環境は厳しい。無制限のドンパチは非現実的である。シノギを中心テーマとしたことで、ヤクザ漫画における独自の地位を築いている。最新刊の第14巻に収録された「ヤクザと恋とピアノ」では、任侠や義理人情という美化された言葉とは異なるヤクザの行動原理を描いた。
「週刊漫画サンデー」で連載中の『静かなるドン』(新田たつお)は、昼は下着デザイナーで広域暴力団の三代目組長を主人公とした長寿作品である。主人公の会社生活や恋愛などヤクザ漫画以外の要素も楽しめる。シリアスな『白竜』とは対照的にギャグの要素も強い。
この作品では組織間の抗争も多かったが、最新刊の第96巻では世界経済を支配する世界皇帝・リチャード・ドレイク5世が登場する。ロックフェラー家とロスチャイルド家にまつわる陰謀論を髣髴とさせる筋書きでスケールが大きくなった。
これはリアリティに欠けるが、抗争を続けるヤクザ漫画の一つの方向性である。抗争に勝利する度に主人公達の組織は強大になり、並みの組織では敵として物足りなくなる。そのためにヤクザ以上の強力な敵が必要になる。実際、盃による血縁関係の描写に定評があった木内一雅原作、渡辺潤画の『代紋TAKE2』も最後の抗争は東京を壊滅させた傭兵部隊との戦いであった。
コンビニコミックでは田岡一雄・三代目山口組組長、菅谷政雄・三代目山口組若頭補佐ら現実のヤクザの伝記的な作品が多数刊行されている。単純にヤクザのリアリティを追求したいならば本物には適わない。『白竜』と『静かなるドン』はフィクションとしてヤクザ漫画の方向性をそれぞれ示している。

『静かなるドン』第97巻、ストーリーの練られた長寿作品

新田たつおが『週刊漫画サンデー』で連載中の漫画『静かなるドン』第97巻が12月27日に発売された。下着デザイナーと広域暴力団・新鮮組の三代目総長という二つの顔を持つ近藤静也を主人公とする作品である。
『静かなるドン』は1989年に連載開始され、単行本の累計発行部数が4000万部を突破する長寿作品である。長寿作品としては『こちら葛飾区亀有公園前派出所』や『ゴルゴ13』が先輩になるが、これらはオムニバス形式である。『静かなるドン』はストーリー物であることが特徴である。
この巻では新鮮組一の武闘派である鳴戸竜次率いる鳴戸組と、鬼州組の骨手牛昇や獅子王親衛隊が激突する。骨手牛は登場時の単行本のキャラクター紹介で「鳴戸と対抗できる唯一の男」と紹介されていた。その鳴戸と骨手牛の対決では骨手牛が圧倒的な強さを見せつけた。
鳴戸は新鮮組内で数少ない静也の理解者であり、物語の前半では何度も静也の危機を救ってきた。転生寺の戦いで静也を守ろうと奮闘したシーンは感動的である。しかし、今回は鬼州組との対決を望まない静也の意に反して、龍馬の誘拐を強行しようとするなどトラブルメイカーになった。強さだけでなく、キャラクターとしても霞んでしまった感がある。究極的にはヤクザの消滅を願う静也と、あくまで男を売る稼業に生きる鳴戸や龍宝国光との溝がどうなっていくのかも注目である。
一方、鬼州組七代目となった白藤龍馬は幹部会で自らの敵が世界の影の支配者である世界皇帝であると明らかにする。世界はグリードキン家とドレーク家という二つの富豪一族によって、何百年間も支配されてきた。彼らは国家権力をも操る存在である。これはロスチャイルド家やロックフェラー家、フリーメーソンなどの陰謀論を下敷きにしている。
これは荒唐無稽な陰謀論と見ることもできるが、『静かなるドン』ではヤクザの背後には権力者(政治家や企業)が存在し、利用しているという発想が底流にある。第8巻の「真の敵」には「あんたはいつも『ヤクザ』を利用するのは『政治家』と言っとるが、その『政治家』を利用するのは『企業』じゃ」という台詞が存在する。物語初期から黒幕のイメージが存在していたことは興味深い。『静かなるドン』はギャグの印象が強いが、ストーリーも練られている。
強大な影の支配者と戦うというストーリーは漫画的には正統である。しかし、『静かなるドン』の更にひねっている。支配者と戦おうとしている者は主人公ではなく、主人公のライバルである。主人公は「静かなるドン」と称されるように戦おうとしない。反対に龍馬の企てを無謀と考えている。誰が正義で誰が悪か、何がハッピーエンドなのか展開が読めない作品になっている。
第97巻にはスピンオフ作品『エピソード0 妙の眼鏡』も収録されている。これは連載1000回を記念した特別編で、静也が三代目を継承する前の就職活動中の頃を描いた。本編では死亡してしまった小林秋奈ら懐かしいキャラクターも登場している。

『静かなるドン』第98巻、関西ヤクザとマフィアの大抗争

新田たつおが『週刊漫画サンデー』で連載中の漫画『静かなるドン』第98巻が、3月29日に発売された。下着デザイナーと広域暴力団・新鮮組の三代目総長という二つの顔を持つ近藤静也を主人公とする長編漫画である。関西ヤクザとマフィアの大抗争を傍目に主人公は下着デザインに精を出すという、この漫画でなければ考えられない展開になった。
前巻までは鬼州組の白藤龍馬と世界皇帝の戦いが物語の主軸であった。しかし、世界皇帝のリチャード・ドレイク5世は鬼州組潰しを米国マフィアのアレキサンダーに委ねたため、この巻ではアレキサンダー率いる世界各国のマフィアと鬼州組の抗争が展開する。市街地で戦車が投入されるなど壮絶な構想劇であるが、奇人変人揃いのヤクザやマフィアによるギャグも健在である。
一方、両者の争いを静観する新鮮組は相対的に平和である。周囲を呆れさせる静也の下着デザインや新鮮組の不良幹部・生倉新八の陰謀などバカバカしい騒動に紙数が割かれている。世界皇帝との対決という本筋は、お預けとなった反面、従前の『静かなるドン』らしい内容になっている。
静也と秋野明美のロマンスも相変わらずである。秋野は下着デザイナーの静也と新鮮組総長の静也が同一人物であることを以前から気付いている。そして静也も秋野が同一人物であることに気付いていることを気付いている。その上で秋野が気付いていることに気付かないふりをするという複雑な関係になっている。この巻では静也が気付かないふりをしていることに秋野が気付くという複雑さが一段加わった。
この巻は物語の流れからは小休止に見えるものの、並行する各キャラクターの伏線が本筋に向かって集約されていく。近藤は自らデザインした下着のマーケティングのために秋野と英国に出張する。その英国では生倉が自己の野望のために留学させた息子の虎太郎と付き添いのバロン乳栗(乳栗一角)がドレイク5世に近付く準備を整える。どのような形で彼らが交わっていくのか、次巻に注目である。

『静かなるドン』第99巻、まだまだ引っ張る最終章第2弾

新田たつおが『週刊漫画サンデー』で連載中のヤクザ漫画『静かなるドン』第99巻が、6月29日に発売された。この巻では白藤龍馬とビトー・アレキサンダーの対決に決着がつくが、最終章第2弾に突入した。
『静かなるドン』はギャグ漫画の色彩が強いものの、ひとつながりのストーリー物である。主人公・近藤静也と秋野明美のロマンスと、静也の率いる新鮮組と関西の暴力団・鬼州組の抗争がストーリーの軸になっている。1989年に連載を開始した長寿作品であるが、第89巻で「最終章」に突入した。
最終章は「深淵をのぞく者は、また深淵にのぞかれる」というニーチェの意味深長な言葉を引用して始まった。ここには長寿作品に幕を下ろす作者の意気込みが現れている。最終章の主軸は、世界を裏から支配してきた世界皇帝に対する龍馬の復讐である。
ロックフェラー家とロスチャイルド家、フリーメーソンなどの陰謀論を下敷きにしたスケールの大きな話であるが、新鮮組と鬼州組の抗争が同時進行し、中々話が進まない。最終章突入後に刊行された単行本は10巻を数え、連載も続いている。今が最終章であることを忘れた読者も少なくないはずである。
この巻は龍馬と世界皇帝の送り込んだアレキサンダーのロシアン・ルーレット対決の続きで幕を開ける。新鮮組一の武闘派・鳴戸竜次を圧倒する最強キャラクターであった骨手牛昇がロシアン・ルーレットに臨む龍馬を心配し、慌てるという新たな一面を描いた。この龍馬とアレキサンダーの対決に決着がついたところで、最終章第2部に突入し、新たな強敵の存在が予告される。
この対決と並行して静也は下着デザイナーとしてロンドンに行き、世界皇帝のリチャード・ドレイク5世と対面する。力の信奉者となった龍馬を全面的に支持できないとしても、これまでは世界皇帝は悪という価値観があった。ところが、静也はドレイクを「イギリス国民の希望」と理解している。世界皇帝側を悪と単純に言い切れなくなり、物語の複雑さが増した。
発行部数30万部の『週刊漫画サンデー』にとって単行本が累計4300万部になる『静かなるドン』は文句なしの看板作品である。簡単に終わらせられる作品でもない。複雑さを増した最終章第2弾の行方に注目である。(林田力)

『静かなるドン』第100巻、惜しげもなくキャラを殺して急展開

新田たつおが『週刊漫画サンデー』で連載中のヤクザ漫画『静かなるドン』第100巻が、10月25日に発売された。新宿思い出横丁の「つるかめ食堂」での「静かなる丼」や『完全データブック』・新装版の発売など記念キャンペーンも話題である。記念すべき大台の第100巻であるが、のどかな結末となった前巻から打って変わって、内容も急展開となった。

ビトー・アレキサンダーの退場により、白藤龍馬と世界皇帝の対決は新たな局面に入るが、下着会社プリティでも河井前社長と川西部長の間に騒動が勃発する。凄惨なヤクザの抗争と庶民的な会社生活の二面性が『静かなるドン』の魅力である。しかし、最終章が煮詰まっている時に河井前社長のエピソードが新たに挿入されたことは露骨な引き延ばしとも受け取れる。

河井は社長時代から疫病神的存在であった。河井の走狗になって主人公・近藤静也をイジメるパワハラ上司の川西部長には小市民的苦労が描かれ、単純な悪役ではない。これに対して河井前社長は良いところなしのキャラクターである。その河井が社長を引退したことでプリティ社内の話はドタバタの中でも前向きな明るさを見せるようになった。そこでの河井の再登場であり、予想されるグダグダ感には辟易したくなる。

しかし、そこは人気長寿漫画である。河井のエピソードをコンパクトにまとめ、長期連載が伊達ではないことを示した。しかも、鬼州組との抗争を絡ませ、ヤクザ漫画のストーリーに関心がある読者も飽きさせない。

ここでは過去の鬼神藤乃と河井のエピソードを巧みに利用する。新鮮組総長の近藤にとって昼間は会社員であることは弱点であり、かつて藤乃に攻撃された。それを今回は逆手に取った形である。さらに骨手牛昇と馬場花子の接点も生まれ、今後のストーリーにも影響するエピソードになった。

河井のエピソード落着後は怒涛の展開になる。以前から『静かなるドン』では主要キャラを惜しげもなく殺してきたが、ここでも遺憾なく発揮される。娘に誇れる生き方をしたいと言っていた暴利元成も伏線が回収されることなく、あっさり退場となった。

代わって登場したシチリア・マフィアの殺し屋の面々は、どう見ても色物のビジュアルである。鳴戸竜次や龍宝国光、斎藤始、骨手牛らの漢達と比べて強そうには見えない。それでも強敵のように見せる手腕は見事である。混沌とするストーリーから目が離せない。 (林田力)

『白竜LEGEND』第17巻、原発だけでなく大相撲の八百長も予見

天王寺大原作、渡辺みちお画で『週刊漫画ゴラク』に連載中のヤクザ漫画『白竜LEGEND』第17巻が、4月8日に発売された。原子力発電所の闇に迫る「原子力マフィア」編が連載開始後に発生した東日本大震災を理由に打ち切りになることで話題になった作品であるが、この巻にも社会問題を予見する内容が含まれている。
それは大相撲の八百長である。冒頭の「土俵に賭けろ」編は力士の野球賭博がテーマである。前巻では白竜が野球賭博をネタに力士を恐喝していたヤクザを脅して手を引かせる。この巻では、力士に恩を売った白竜が星を売買する力士の慣行を悪用してシノギのネタにする。
野球賭博の捜査によって大相撲の八百長が発覚したことは周知のとおりである。「土俵に賭けろ」編の恐るべき点は、大相撲の八百長が公式に発表される前から、野球賭博と八百長を結び付けていたことである。『白竜』では現実に起きた事件を下敷きにすることが多い。「土俵に賭けろ」編も力士の野球賭博という既に起きた事件を題材にしたものだが、そこに追加した八百長相撲というフィクションが現実を予見する結果になった。
これは「原子力マフィア」編も同じである。福島第一原発事故を連想する生々しさが連載打ち切りの背景だが、題材は過去の日本の原発事故である。作中では原発の配管の問題を指摘するが、静岡県の浜岡原発では2001年に緊急炉心冷却装置の作動試験中に配管が爆発・破断する事故が起きている。
また、福井県の美浜原発でも点検不足が原因で2004年に配管からの蒸気漏れで作業員が死亡する事故が起きた。新潟県の柏崎刈羽原発は2007年の中越沖地震で放射性物質が流出する事故が起きたが、そこでも消火系配管が損傷し、放射性物質を含む水が溜まった。「原子力マフィア」編は過去の原発事故で指摘済みの内容をまとめたつもりが、福島第一原発事故とリンクしてしまった。
次の「漂流チルドレン」編では白竜の人間味が描かれる。保育園が地上げの対象になり、黒須組の事務所が一時的な託児所になった。白竜は組事務所で騒ぐ子ども達を見て驚く。冷静沈着で感情を表に出さない白竜としては珍しいシーンである。この「漂流チルドレン」編は白竜が誰よりも子どもを大切に考えていたという人情味あふれる好エピソードになっている。

『白竜LEGEND』第18巻、原発事故に続いて情報漏えいを予見

天王寺大原作、渡辺みちお画で『週刊漫画ゴラク』に連載中のヤクザ漫画『白竜LEGEND』第18巻が、8月27日に発売された。連載内容と現実に起きた福島第一原発事故と重なって連載を中断したことで話題になった作品であるが、この巻に収録された差し替えエピソードも現実を予見する内容となった。
この巻は前巻の続きである「もうひとりいる!」編が決着する。この「もうひとりいる!」編は白竜の偽者が暗躍する話であるが、偽物の正体は以外にもあっさりと判明する。白竜を騙った不届き者への白竜の対応が冴える。
次の「情報の死角」編は、連載中断を余儀なくされた問題作「原子力マフィア編」に代わって連載された話である。「原子力マフィア編」は原子力発電所の危険な実態や利権を生々しく描き、連載時に起きた福島第一原発事故を予見していると話題になった。
それに代わる「情報の死角」編は、個人情報の漏えいをネタに企業を恐喝する話である。この「情報の死角」編の連載時にも現実社会で作品とリンクする事件が起きた。ソニーが運営するプレイステーションネットワークで個人情報が流出した。原発事故に続いて作品が現実社会を予見した。
しかし、連載中断で萎縮したためか、「情報の死角」編での白竜の解決策にはヤクザ的な荒々しさはない。白竜の役回りは民事介入暴力の専門家と変わらず、ヤクザである意味がない。もし現実に白竜のような解決策を採ったならば、ヤクザの世界から総スカンを食らうだろう。
ヤクザは社会的には悪とされる。それでもヤクザがヒーローとなりえる理由は、権力と癒着して正義面する巨悪を倒すためには無法も必要という感覚が存在するためである。正攻法では隠蔽されてしまう巨悪をヤクザが倒すからこそ、『白竜』には勧善懲悪的なカタルシスがあった。過去の白竜は腐敗した警察権力とも戦っている。これらの白竜に比べると、今回は優等生的で物足りない。
連載中断は「原子力マフィア編」をターゲットとしたもので、『白竜』の作品自体を否定するものではない。しかし、表現の自由が「傷つきやすい」と言われるように、連載中断の後遺症は意外なところに残存する。次巻に続く「六本木極楽浄土」では本調子の白竜が見られることを期待したい。
(林田力)

『白竜LEGEND』第19巻、愚連隊は敵役としても力不足

天王寺大原作、渡辺みちお画で『週刊漫画ゴラク』に連載中のヤクザ漫画『白竜LEGEND』第19巻が、10月19日に発売された。この巻では主人公の白竜らがヤクザ以上に無軌道な愚連隊を叩きのめすが、愚連隊は敵としても力不足であった。

冒頭の「六本木極楽浄土」編は前巻からの続きである。ここで登場した六本木を根城として暴れ回る愚連隊という設定は、市川海老蔵に重傷を負わせた元暴走族集団を連想する。『白竜』には西武鉄道の名義株や暴力団の東急電鉄株式買い占めなど現実の黒社会の事件を下敷きにしたストーリーが多い。そのために「六本木極楽浄土」編では海老蔵事件のアナロジーへの期待も高まった。

『白竜』のようなヤクザ漫画では粋がっている暴走族や愚連隊はヤクザに叩き潰される展開が定番中の定番である。『白竜』でも過去に鮫川順也の率いる暴走族が白竜らに瞬殺されている。「六本木極楽浄土」編でも最終的には白竜が愚連隊を叩き潰す展開は容易に予想できる。

ヤクザは社会的には悪であるが、暴走族や愚連隊のような社会に迷惑をかける集団をヤクザが叩きのめすことは勧善ではないとしても、懲悪のカタルシスがある。ヤクザ漫画にとって暴走族らは格好のヤラレ役である。現実に「六本木極楽浄土」編では白竜は六本木の商店主の役に立っており、無法者の愚連隊との対称性を際立たせている。

しかし、期待に反して「六本木極楽浄土」編は海老蔵事件のアナロジーではなかった。愚連隊は巨悪に使われる麻薬中毒の小物に過ぎず、主敵は型破りの住職であった。海老蔵事件では元暴走族という肩書きが凄みよりも、いい歳して元暴走族と呼ばれることが恥ずかしいと嘲笑の対象になったが、もはや愚連隊は物語の敵役として描くほどの価値もなくなったことを示している。

この傾向は少年向けのヤンキー漫画にも表れている。加瀬あつしが1990年代に『週刊少年マガジン』で連載した『カメレオン』は主人公がヤンキーとして成り上がる内容で人気を博したが、連載の長期化によってヤンキー自体が時代遅れの恥ずかしい風俗になった。それには『カメレオン』も敏感で、後半ではヤンキーが時代遅れであることを風刺する自虐的なギャグも登場した。さらにラストは大学受験というヤンキーとは無縁のイベントが展開された。

愚連隊がヤラレ役という予想通りの展開に終わった『白竜』第19巻では「紛争ダイヤモンド」編も収録する。これは悲惨なアフリカの内戦を背景に、ダイヤモンド利権の闇を描く。日本では認知度が低いものの、闇の深い問題であり、『白竜』にとって好素材になっている。(林田力)

『BILLY BAT』第7巻、ケネディ大統領暗殺の裏面を描く

浦沢直樹が『モーニング』に連載中の漫画『BILLY BAT』第7巻が、7月22日に発売された。歴史的事件の背後に存在するコウモリ・ビリーバットの謎を描くミステリー作品で、ストーリー共同制作者は長崎尚志である。戦後日本の下山事件やイスカリオテのユダの裏切り、戦国時代など様々な時代・事件を扱うが、この巻では1963年11月22日のジョン・F・ケネディ大統領夫妻のテキサス州ダラスでのパレードが山場になる。
主人公のケヴィン・ヤマガタはケネディ大統領の暗殺を阻止しようとする。これに対してケネディ大統領暗殺犯として知られるリー・ハーヴェイ・オズワルドは、そのケヴィンを救おうとし、ビリーバットの予言に翻弄される登場人物の思いはすれ違う。さらにビリーが見える女子大生ジャッキー・モモチも加わり、ストーリーが複雑度を増す。
歴史的事件を題材としたミステリー作品には難しさがある。史実として定着している内容から独自性を出さなければ面白くない。一方で史実との差異が拡大すると、物語のリアリティが欠けてしまう。
浦沢直樹の代表作『20世紀少年』は登場人物の子ども時代である高度経済成長期のリアルな雰囲気が、ノスタルジアを求める読者層に評価された。一方で『20世紀少年』と続編の『21世紀少年』で描かれた未来は現実から大きく離れたものになり、結末は広げ過ぎた風呂敷のたたみ方への苦慮が見られた。
実在した歴史的人物が登場し、壮大な歴史的スケールで描く『BILLY BAT』は『20世紀少年』以上に風呂敷のたたみ方が難しくなる。しかし、この巻の主題のケネディ大統領暗殺事件では史実との緊張関係を巧みに回避した。未来を知るビリーという現実離れした設定にもかかわらず、史実に驚くほど忠実な展開が進む。実在の人物であるオズワルドに偶然出会った架空のキャラクター・ジャッキーもオズワルドの逃走劇に溶け込んでいた。
前巻まではケヴィンが身を挺して人類を救うというシナリオが暗示されていた。ところが、この巻では歴史的陰謀に抗う人間の無力さが漂う。陰謀を食い止めるには非力であるとしても、それ故にこそ、真実を書き留めるケヴィンのような人間が必要とのビリーの台詞に価値がある。多くの陰謀論と同じく『BILLY BAT』もオズワルドのスケープゴート説を採用するが、オズワルドにとっては微かな救いのある結末が無力感漂う読後感に一抹の清涼剤となった。(林田力)

『兵馬の旗』第1巻、現代感あふれる幕末物

かわぐちかいじがビッグコミックで連載中の歴史漫画『兵馬の旗〜Revolutionary Wars〜』第1巻が、7月29日に発売された。『沈黙の艦隊』や『ジパング』、『太陽の黙示録』と壮大なスケールで日本という国家像を問うてきた、かわぐちかいじの新作は一転して幕末物になった。しかし、過去の作品と同一線上の現代感あふれる作品になっている。
主人公は幕府旗本の宇津木兵馬で、幕府側の立場から戊辰戦争を描く。兵馬はロシア留学経験のある開明派で、帰国後は幕府の西洋式精鋭部隊・伝習隊の将校となる。物語は鳥羽・伏見の戦いで幕を開ける。史実通りに幕府軍は敗退するが、宇津木の一隊は最新の軍備を活かして奮闘する。幕府の大敗と記録される鳥羽伏見の戦いであるが、様々な局面があり、薩長も危険な綱渡りをしていた状況が描かれる。
かわぐちかいじは、これまで現代社会を主な舞台として、自分で考え行動する強烈な近代的自我を持った人間を描いてきた。それは『兵馬の旗』でも健在である。『兵馬の旗』の登場人物には忠義という封建的思想は希薄である。鳥羽・伏見の戦いという幕末の終わりから物語が始まるため、尊王や攘夷という幕末を熱狂させた思想も希薄である。
薩長軍に錦の御旗が掲げられ、朝敵の汚名を怖れた幕府軍の士気が低下する点は史実と同じであるが、本書では登場人物達が錦の御旗の効果を冷静に計算している。朝廷側すら錦の御旗を掲げれば安泰とは考えていない。新選組の土方歳三も登場するが、世の中を達観した人物として描かれている。幕末を舞台としているが、登場人物の思考形態は近代人のものである。
また、兵馬の属する伝習隊はフランス式軍制に則っており、洋装の軍服や最新式の小銃を標準装備し、大尉や中尉などの階級で呼び合っている。史実通りの設定であるが、かわぐちかいじの画では戦前の日本軍のように見えてしまう。まるで『ジパング』のように、近代軍の一部隊が幕末にタイムスリップした物語かと勘違いしそうである。
何よりも主人公の兵馬が近代人である。日本ではチョンマゲを結った和装の兵馬であるが、回想シーンのヨーロッパでの洋装の兵馬の方が活き活きとしている。これらの現代感は、歴史物として新鮮という好感と歴史物らしくないとの不満に意見が分かれるところである。テレビの時代劇がチョンマゲを付けた現代劇と言われて久しい。チョンマゲを付けた現代劇の漫画作品にも注目である。
(林田力)

『GANTZ』第30巻、人類の立場が逆転

奥浩哉が週刊ヤングジャンプで連載中のSFアクション漫画『GANTZ』(ガンツ)第30巻が1月19日に発売された。『GANTZ』は電車に轢かれた玄野計ら死亡した人間が謎の黒い球体「GANTZ」から指令を受け、異星人と戦う物語である。二宮和也(嵐)主演で実写版映画『GANTZ』(佐藤信介監督)も1月29日に公開される。
地下鉄のホームで撥ねられ死んだはずの玄野と加藤勝は謎のマンションの一室に一瞬にして転送される。そこに置かれた得体の知れない黒い球の指令により、異星人の暗殺を命じられた玄野らは、状況を把握できないまま異星人の元へと転送される。
当初は「ねぎ星人」や「田中星人」らの異星人を倒すミッションがオムニバス的に展開された。「星人」の名前はユーモラスであるが、戦闘シーンはグロテスクである。イタリアを舞台にしたラスト・ミッション終了後は異星人が地球を蹂躙するカタストロフィ編に突入した。
この巻では巨大飛行物体に侵入した玄野と、異星人に連れ去られた小島多恵が中心である。異星人に連れ去られた人類は衣服を溶かす液体を浴びせられる。そのため、一冊丸ごと全裸の人間が大量に登場するという衝撃的な単行本となった。
カタストロフィ編の当初では異星人が圧倒的な軍事力で人類を蹂躙していた。そこでは人類の抹殺を目的とするような無機質な殺戮が行われているように見えた。しかし、巨大飛行物体内部で営まれる異星人の生活は、意外にも日常的で平凡なものであった。異星人は人間から見れば巨人である。巨大飛行物体内部の居住空間は高度に都市化されているが、人類の文明の未来形と大差ない。人類と同じように文明生活を送っている。この点で同じ巨人と人類の戦いでも諌山創の『進撃の巨人』に登場する巨人のような不気味さはない。
異星人の人類へのスタンスも合理的である。過去の「星人」のように理由なく人類を殺傷する訳ではない。人類はペットの餌や見世物、ペットなど用途が明確である。異星人の人類への接し方は、動物や昆虫に対する人類の接し方と類似する。人類と家畜の立場が逆転したという意味で藤子・F・不二雄の『ミノタウロスの皿』と重なる。
また、異星人の外観やファッションは人類ならば白人のものに近い。異星人は全世界に侵略しているが、ここでは日本が舞台であり、捕らえられた人類も日本人である。美しく着飾った白人が裸の黄色人種を駆逐するという連想も生まれる。この点で沼正三の『家畜人ヤプー』とも重なる。
単に倒すべき敵と認識していた過去の「星人」と異なり、カタストロフィ編での異星人は人類に近く、読者にとっても行動原理が理解可能なものである。その故にかえって結末が見えにくくなっている。

『GANTZ』第32巻、映像作品のようなテンポの速さ

奥浩哉が週刊ヤングジャンプで連載中のSFアクション漫画『GANTZ』(ガンツ)第32巻が、8月19日に発売された。異星人の情報戦や新たな怪物の登場など盛りだくさんの内容がハイテンポで描かれる。
この巻も高度な文明を持った巨大な異星人が地球を蹂躙するカタストロフィ編が続く。ガンツメンバーの反撃が始まり、囚われた人々を救出していく。最初は順調に進展したものの、事態は急変する。隠れている人々と合流できた小島多恵にも、新たな災難が降りかかる。異星人と人間の関係は、人間と小動物の関係に近いが、この巻でもアナロジーは健在である。人間が釣りをするように異星人は釣り針で人間を捕らえている。
この巻でのストーリーの大きな動きは戦争終結の報道である。テレビなどの通信網が復活し、異星人と人類の和平を報道する。その内容は、これまで描かれてきた人類の惨状とは乖離したものであった。読者としては人類を油断させる陰謀と思いたくなるが、多くの人々は和平を喜び、受け入れた。ニュースでは異星人と戦うガンツメンバーをテロリストと報道し、ガンツメンバーは人類からも孤立しそうな雲行きである。
和平を喜び、異星人の高度な文明を称賛する人々はリアリティに欠ける。異星人の攻撃によって人間は大量殺戮され、インフラは大きく破壊された。普通の感覚ならば恨みや憎しみは残る。しかし、あっけらかんとした人々を描くことで、愛する少女トンコツを殺害された桜井弘斗の復讐心を際立たせる効果がある。
このように盛りだくさんの単行本であるが、『GANTZ』の特徴はテンポの速さである。これはストーリー展開の速さとは別物である。むしろストーリー展開は遅く、異星人の謎は明らかになっていない。しかし、話の進みは遅いのに『GANTZ』の絵柄には映像作品を観ているような疾走感がある。そのために非常に短い時間で読める作品である。
これは尾田栄一郎の『ONE PIECE』のように絵が緻密で台詞の文字数も多い漫画とは対照的である。異星人に侵略された人類社会の行く末という大きなテーマを扱いながらも、勢いよく読み進められる『GANTZ』の展開に注目である。
(林田力)

『美味しんぼ』第107巻、丸くなって名店・名人をリスペクト

雁屋哲原作、花咲アキラ画で『ビッグコミックスピリッツ』に連載中のグルメ漫画『美味しんぼ』第107巻が、8月30日に発売された。この巻では第106巻に続く「名人・名店編」で、和食の分野の名人・名店を紹介する。スッポン鍋や懐石料理、摘草料理などである。過去に紹介された店舗も登場し、古くからのファンには懐かしさと時の流れを感じさせる。
『美味しんぼ』のテーマは料理であるが、料理を通してゲスト的な登場人物の抱える悩みを解決する人情物でもある。この巻でも名人を紹介するだけでなく、名人の料理を通して、偶然出会ったゲストが悩みを解決するプロセスを描いている。
このように『美味しんぼ』は人情物のオムニバスをベースとするが、一方で過去には山岡士郎と海原雄山の対立や山岡と栗田ゆう子の恋愛など長編的要素も盛り込み、人気を博した。特に料理版の星一徹とも言うべき雄山のキャラクターはパロディー化されるほど広まった。
オムニバスをベースとしつつ、長編要素を盛り込む手法は作品を長寿化させる一つの方策である。たとえば青山剛昌の『名探偵コナン』でも単発の事件の解決というオムニバスをべースとしつつ、黒の組織の対立という長編的な要素を盛り込む。この名探偵コナンでは黒の組織と決着を付けるに至っていないが、美味しんぼでは山岡と栗田は結ばれ、子どもまでできている。また、山岡と雄山も歴史的な和解を果たした。
それでも作品が続いている点が恐るべきところであるが、長編的要素という目標を失ったせいか、作品が丸くなっている。かつての『美味しんぼ』は俗物や商業主義に毒された料理への痛烈な批判が醍醐味であった。食品添加物や遺伝子組み換え食品、六ヶ所再処理工場の危険性の指摘は大きな話題になった。しかし、この巻では名人や名店をリスペクトするばかりである。
雄山も少しだけ登場するが、理解ある助言者になっている。しかも雄山の口から「プロデューサー」なる横文字まで登場する。商業主義的なフードプロデューサーとは一線を画すものの、同じような表現が使われることが驚きである。
山岡には子ども、雄山には孫ができたために守りに入ってしまったのか。それとも批判対象であっても醜いものを描きたくないという作者の純粋性の表れか。丸くなった作品の行方に注目である。
(林田力)

『自殺島』極限状況のサバイバルと内面描写

森恒二が『ヤングアニマル』で連載中の漫画『自殺島』第6巻が、9月29日に発売された。『自殺島』は自殺未遂常習者を無人島に棄民する政策が行われている日本で、無人島に残された自殺未遂常習者達のサバイバル生活を描く漫画である。極限状況の中で主人公達は積極的に生きようとする。
主人公セイはオーバードラッグとリストカットによる自殺未遂を繰り返す青年であるが、ある自殺未遂後に他の自殺未遂常習者と一緒に見知らぬ孤島に放置された。文明も秩序もない無人島で狩猟採集など主人公達のサバイバル生活が展開される。
セイは弓矢の知識を基に自作の弓矢で狩猟し、それによって生命の尊さを認識していく。すっかりたくましくなったセイであったが、セイの所属するグループは内部でメンバーに自殺を勧める確信犯的人物が暗躍し、港側の無法集団とも対立して内憂外患に悩まされる。
この巻でセイは絶望から死んだ方がいいと自殺を勧める確信犯的人物の正体に気付く。しかも、その人物は自殺を勧めるだけでなく、一歩進んで自殺に踏み切れない人物を殺していた。彼の論理は一方的に悪と決めつけられないもので、生きることに目覚めたセイは異論を抱きつつも相手を論破できなかった。両者の主張は平行線のまま、無法集団の襲撃という事態を前に不完全燃焼になった。
ここには過酷な現実に対処するためには「生きるべきか死ぬべきか」という哲学問答の余裕さえないというリアリティがある。しかし、自殺の是非は作品の根幹をなす倫理的問題である。生きることに目覚めたセイと自殺推奨者の思想対決の結着は今後に期待したい。
無法集団との対決では、仲間を守るために敵を傷つけなければならないという選択を迫られる。悪辣な無法者は同情に値しないが、それでも主人公が悩むところに作品のヒューマニズムがある。最後は自殺未遂者の心の傷に直面するエピソードである。サバイバルと内面描写のバランスが取れたストーリーになった。
(林田力)
林田力


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