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死のうと思った時はたくさんあります、生きてても辛い事ばかりです。死ぬ死なないは本人しか決められません、誰かに聞いてもらいたいのです。

もし明日、私の父が母が妹が恋人が親友が死んだら、私は身をよじって泣き続けるだろう。もしそれが理不尽な死であれば、間違えなく天を恨むだろう。だが、死の本質は悲しみだけなのだろうか。眠るように亡くなった人がいる。家族が気づいた時には、もう息はなかったのだが、最初はソファーでうたた寝しているのだと思った。それで普通に何度か起こそうとした。テレビもついたままだった。年賀状も書きかけのままだった。何の前触れもなく、ふと心臓が気まぐれに止まったみたいだった。医者も「おそらくご自分が亡くなったことすら気づかなかったと思いますよ」と言っていた。

それはそれは穏やかな死に顔だった。本人がずっと望んでいた死に際であったろう。「誰にも迷惑をかけず、ぽっくり逝きたい」というのが、口癖だったからである。いつも優しく、いくら歳をとってもどこか毅然としていたその人を、私は大変尊敬していたが、逝き方すら憧れた。葬式ではみんな泣いたが、その悲しみの中には、どこかしら温かさ、穏やかさがあった。

人間という存在は、個人に焦点をあてる時と、人間という種に焦点をあてる時では死の捉え方が異なる。個人の死は悲しむべきものだが、人間という種にとっては、死は必要不可欠なものであって、生命は四十億年もの昔に、死を含んだ生を選択している。死をもって、命を次世代に連鎖させるというシステムを生命は選んだ。死は命を繋ぐための営みの一つであり、全ての生き物に平等に与えられた使命である。

しかしその選択は人間の意識が生まれるはるか昔に行われたことで、「何故、死をもって命を連鎖させなければいけないのか」という問いの答えはない。だから人間は死を考えると不安になる。個人的な死の悲しさ、悲惨さにとらわれ、死の持つ本質的な意味をなかなか受け入れられない。「からだ」について考えることは、自分はいつか死ぬということを受け入れることだ。

意識はそれを考えるのをいやがるから、人は長く「からだ」について考えるのをやめてしまった。生き物としての自分、次に命を繋ぐ存在としての私という認識が今、必要となってきている。意識を持ってこの大地に立つ唯一の生命体として、死を受け入れるための思想を新しく作り直し、そしてそれを次世代に伝えていかなくてはならない(寺門琢己×田口ランディ対談集「からだのひみつ」)。

これは無論いたずらに死を賛美しているのではない。自己の体というものをどれだけ本当に知っているか。よりよく生きるためには、「からだ」を知らなくてはいけないし、「からだ」を知るということは、死ということも受け入れることだと言いたいのだと思う。生きることと死ぬことは繋がっている。生きることも死ぬことも自然の流れの途中でしかない。


あなたも引っ越すの 「あなたも引っ越すの」と尋ねた。「私も引っ越すよ」。「それはいつ」。「私の番が来たらね」。「私は嫌だ。私はここにいるよ」と大声で叫んだ。どら吉もテフチンも枕も、その時が来て、引っ越していった。見ていると風に逆らって、枝にしがみ付く葉もあるし、あっさり離れる葉もある。やがて木は葉っぱを落して、裸同然になった。残っているのは私とふんにゃだけである。「引っ越しするとか、ここから居なくなるとか、ふんにゃさんは言っていたけどそれは…」と胸がいっぱいになって言った。

「死ぬ…と言う事でしょ」。ふんにゃは口を堅く結んでいる。「私、死ぬのが怖いよ」と言った。「その通りだね。まだ経験したことが無い事は、怖いと思うものだ。でも考えてごらん。世界は変化し続けているんだ。変化しないものは、一つもないんだよ。春が来て夏になり秋になる。葉っぱは緑から紅葉して散る。変化するって自然な事なんだ。あなたは春が夏に変わる時、怖かった。緑から紅葉する時、怖くなかったろう。私達も変化し続けているんだ。死ぬというのも変わることのひとつなのだよ」。


随分若くして君は死んだ。 随分、あっけないものだと思った。余りにもあっけなくて悲しむ事すら忘れた。他の人が嘆き悲しんでいる。私はそれを他人事みたいに画面から見ていた。せめて上辺だけでも悔やみの言葉を上げようか、会うこともなく死んでしまった君に、顔すら持たなかった君に。

音響 あなたが死んでしまったあの頃からかな、私が音響にハマりだしたのは。あなたはひどく優しくて、私の好きな一人の休日に私が聴いた楽曲を一緒に聴いてくれていた。時々窓から眺めていた。日向の中で昼間中、目を瞑り、太陽の方角をただ眺めていた。どうしたのだろう。ここ2、3日の失敗の多い昼間があなたを羨ましがっている。一緒に連れて行ってくれていたなら、こんな今を見ないで済んでいた。いんちきだらけのサービス精神も、あなたが居たなら見ないで済んでいた。変に鳴り響く音があなたを思い出させて、夢中で写真を探し出した。何か大事なことを忘れてしまった。大切なことを言い忘れてしまった。都合が悪くなった私は自分の名前まで忘れてしまう。

他人の死 今、誰かが死んだ。感想はと聞かれても、ええ、特にはない。レモンキャンディを噛み砕きながら、烏龍茶を飲む癖が、いつまでも抜けない。息をすることに比べれば大した無作法でもないだろう。マガジンラックはいつも空っぽ。あれはどうやって使うものなのだろうか。誰かが死んだことを不思議に思って辞書を引いたりはしない。申し訳ないが興味はない。それは本当に申し訳ない。今も明日も何年後も私はあなたではないから、それだけの議論である。

自殺 死のうと思った時はたくさんある。生きてても辛い事ばかりだ。死ぬ死なないは本人しか決められない。いつでも死ねるのだから、気楽に生きれば良いのではないか。死んじまうのは最後の手段で良いのではないか。死にたいって思う時はまだ死ぬには早い。死にたくないと思う時が死ぬには最良の日である。死ぬのはいつでもできるから、その日が来るまで生きていれば良い。

死のう。 突然そう思った。死ねば学校に行かなくてすむ。死ねばこんなつらい思いをしなくてすむ。そう思った時、いつも寝る前につけて聴いているラジオから歌が流れてきた。「一人じゃないよ」。何てことを考えていたのだろう。私が死んだら両親が悲しむ、兄弟姉妹が悲しむ。私は一人じゃない。突然死のうと思ったのと同じように、私は突然思った。私は歌手になる。歌手になって同じようにいじめられている子に歌を届ける。あなたは一人じゃない、あなたを愛している人がいると歌う。強い人になってみんなに歌を届ける。そのためにはまず食べる。私は皆が寝静まった家で冷蔵庫のドアを開けた。

羊水 暗い闇の中、緩やかな羊水の流れの中で私は目覚めた。上から誰かの呼ぶ声がする。少しの光が見える。御免ね、其処には行けそうもないよ。余りにも疲れてしまったんだ。だってここは余りにも居心地がいいから。ゆっくりと目を閉じた。このまま深く深く沈んで、もう二度と這い上がりもしないから。


死後 死んだらどうなるのか。無に還るのだろうか。記憶も過去も全て消滅するのだろうか。そのために時間を積み重ねてるのか。ドミノ倒しみたいだ。一旦分子レベルまで分解して、その後違う物体に再結合して違うものになるのだろうか。貧血で倒れたまま死にそうになったことがある。気持ち良くてこのままでも良いと思った。やっぱり、本人は気持ちいいのだろうか。死後の世界も地獄も天国もない。全ては生きている人たちの希望、願望、慰めである。

臨死体験も生きている人の報告である。肉体から精神が遊離することは確認できない。幽霊も確認できない。あの世も確認できない。全ては恐怖と妄想だろう。肉体(脳細胞)には、生後の体験、教育(精神)が入力されていく。そうした意味では肉体が先行する。このように言うと夢や希望のあるような話ではなくなってしまう。あの世に希望を託したい気持ちが強いが、今生きている自分とこの世界をもっと大切にしなければならないだろう。


欲求 マズローは人間の欲求にはランクがあることを示唆した。人間はある段階の欲求が満たされると、次の欲求を求めるようになる。第1は生理的欲求で生きるための欲求である。最低限の欲求とも言える。第2は安全欲求。生理的欲求が満たされていることが前提である。危険をさけ、安定した収入を求める欲求である。第3は社会的欲求。誰だって一人では生きられない。愛情を求める欲求とも言われる。人間関係と社会的関係の欲求である。第4は自我の欲求。人間は何のために生きるのか。誰だって人に認められたい。自尊心を満足させ、他人の尊厳を求める心だ。この段階にくると恋人や家族に対する責任感が強い。第5は自己実現の欲求である。最終段階の欲求だ。人間の存在意義そのものだ。自己の素質を最大限に発揮し、自己の欲求を実現しようとする段階だ。自己実現のために、人は努力をする。
「がんばれ」という言葉が嫌い あの頃、と言うともう何年も経ったみたいだ。色々なことを喋った。「がんばれ」という言葉が嫌いとお互いに頷いた。がんばらずに気を張らずに飄々と生きてる、と目を合わせずに笑った。強がってる自分が好きなのか、そんな自分を知られたくなかったのか、二人とも涙を見せずにいた。鼻をすする音がした。「風邪?」と言う私は馬鹿である。こういう時、どうすればいいのか。受話器を握る手が、震えている。窓を開けて空を見て。ほら、一番でっかい四角。星座なんてよく知らないが、今日はあそこから、星が降ってくる。

後ろ向きの発想をしよう 「ポジティブシンキング」という言葉が今や化石となりつつあるのは喜ばしいことだが、言葉は変われどこの手の本や特集が多いのは残念なことである。環境の方が悪いのにそれを克服できないのは才能がないからだと非難するのは問題の本質を隠蔽するものである。仮に障害の下でもそれを克服した成果があげられたとしても、それならば障害がなければもっといい結果がでたと考えるべきだろう。プラス志向とか前向きという言葉に愚かな日本人は踊らされがちですが、それは「上を見て生きるな、下を見て生きろ」という封建社会において支配者が人民に押し付けた発想と同じである。

人生を肯定的に生きる 「感謝・安心・幸せ。人生を肯定的に生きる。心豊かな人間は、自分も他人も許し心に余裕がある」(山崎房一(教育家))。朝、目覚めた時に「あ〜あ、今日も会社(学校)へ行かなければならないのか。嫌だなぁ…」と思う。会社(学校)へ着いて同僚(友人)の顔を見れば気分も変わるかもしれないが、家を出るまで、更に通勤(通学)の間中「イヤだ、イヤだ」と感じて気分が重い。

中には楽しそうに通勤する奇人もいる。普段は嫌だとと思っていても、何かうれしいことが待っていたりボーナスをもらう日は、朝起きたときから会社へ行くのが楽しみに感じるかもしれません。しかしそれがあるからといって会社が楽しいところにはならない。実は会社とは嫌なところでも、楽しいところでもないのかもしれない。嫌なところだとか、楽しいところだとか、そんなふうに見ている私達の心が嫌な会社とか楽しい会社を創っているのかもしれない。世界の見方、感じ方こそが、私達が生きているこの世界のあり方を創造している面もある。

もし今の自分に満足していないとしたら、そんな世界を創造しているのは、誰でもなく自分自身ということになる。もしネガティブにものを考えたり見たりしているのなら、やはりネガティブでつまらない世界を生きることになる。例えば何かをやろうというときに、はじめから「それは無理」という見方をしていれば、それをやり遂げるのは難しい。同じことをするのでも、「きっと出来る」と信じて取り組めば、少しはやり遂げ易くなる可能性もある。

私達は自分の世界という劇の脚本家であり、演出家であり、主人公でもある。この考えに立てば、もし充実している人生という劇を楽しみたいのなら、そのように脚本を変更し演出すればいい。悲しいことがあっても、無理にでも笑顔を作ってみれば楽しい気持ちが生まれる可能性もある。まずは、ちょっとしたセリフを変えてみることからはじめてみる。「できない」の代わりに「きっとできる」、「〜しなければならない」の代わりに「〜してもいい」、「つまらない」の代わりに「面白い」。さあ、明日面白い会社へ行ってもいい。そして、もっと人生を楽しむことができるし、もっともっと自分を好きになることもできる。


人生 中々思うようにいかないのが人生である。恋人ができたと思っても、ふられてしまうこともある。成績が上がったとよろこんでいても、また下がってしまう。やっと就職できても、リストラされるかもしれない。健康でいても、怪我をしたり病気にかかったりする。一方、こんなふうに考えることもできる。ふられたとしても、もっとすばらしい恋人と出会うことができる。成績が下がっても、がんばればまた上がっていく。リストラされても、就職活動を通していろいろな世界を知ることになるかもしれない。怪我や病気は、いつかは治りますし、その経験で健康のありがたみが身にしみる。

いいことと悪いことはペアになってやってくるのかもしれない。悪いことと思っても、実際はそのことと出会ったために大きな気づきがあったり、結果的にはその方がよかったということもある。それならば何がいいことで何が悪いことなのかは、一概には決められないものかもしれない。山と谷とを繰り返して進みながら、いろいろな経験をしていくことこそが私たちの成長なのかもしれない。人はどこにいても、今の自分の環境や毎日出会う出来事を楽しむことができる。例えば、今が山道を上っているところで、とてもしんどくても山頂からの眺めを楽しみにがんばって進んでいくことができる。決してあせる必要はない。ただ、今目の前に広がるのそのすばらしい景色を楽しんでいけばいい。

また、下り坂にさしかかって、下を見れば暗く深い谷底しか見えなくても心配したり、この道を選んだことを後悔するだけではない。いつかはまた上っていくことができるし、谷底でしか味わえない貴重な経験もあるから。うまくいかないことがあるから、うまく行くように考えたり努力することもできる。失敗したり否定されるからこそ、今まで気づかなかったことを発見することもできる。いいことも悪いことも全てのことは、それらの経験はすべて私達が大きくなっていくことにとても役に立つ経験となる。たとえ落ち込んでも絶望したとしても、私たちがやめない限りは、どこまでも前に進んでいくことができる。無論、その先にあるすばらしい目的地にたどり着くために私たちは生まれてきたのが、その過程にも大事なものが往々にしてある。


喜び 「どんな小さな事でも大きな喜びとすれば、大きな喜びとなって自分が幸せになる」(鈴木清一(ダスキン創業者))。白と黒の碁石を、ばらまいてみる。「黒い碁石を集めてみよう」と思って拾っていると、だんだんと目に付くのは黒い碁石だけになって、白い碁石は見えてはいるけれど気にとまらなくなってくる。逆に白い碁石だけを集めようとすると、白ばかりが目に入りやすくなる。そのうちに黒い碁石の存在さえ気がつかなくなっているかもしれない。心はあまり器用ではない。黒い石と白い石を同時に探すということは難しい。

同様に人生においても、自分がいつも考えたり思っているものの方が見やすくなることがある。「私の人生は、嫌なことばかりだ。いいことや楽しいことなんてひとつもない」と思っていると、無意識のうちにネガティブなものばかりを見ようとしている可能性がある。そんなものばかりを集めようとしたら、生きていくことも楽しくなくなるだろう。また別の人は、自分はツイいないから不幸なのだと思っている。他の人のように、もっと楽しいことに出会ったり、いいひとたちに囲まれていれば幸せなのに…。ところが前述のように意識を向けているものの方が見えやすい傾向がある。そうすると自分が幸せかどうかを決めるのは、自分の人生観によるところが少なくない。幸せには、何かいいことがあったから感じるというだけではなく、自分の心が生み出す面もある。自分が見ようとするものを見、結局はそれを手に入れることがなる。故に幸せになるためには、自分のまわりにある喜びを、できるだけ沢山集めてみるという方法もある。喜びを感じる時間が増えれば増えるほど、より大きな幸せを手に入れる可能性も増える。

「だけど、私のまわりには喜びなんて、一つももない」と感じることもあるが、本当は喜びで一杯なのに、それをみつけることに慣れていないから見えないだけということもある。他のことと同様、喜びをみつけることも練習することで上手くなることができる。例えば毎日最低3つ、自分が感じた喜びを探してノートにつけるようにする。「駅のホームに着いたとたん、電車がやってきた。ラッキー」「自動販売機に、前の人の釣り銭が残っていた。ちょっと得した」「はじめてのお店でお昼ご飯をたべたら、とてもおいしかった」など、ほんのちょっとしたことでいいから、とにかく日に3つはみつけることをノルマにしてみる。はじめは何とかこじつけてでもしなければみつからなかった喜びが、そればかりを探そうとしてみると、だんだんとみつかりやすくなる。毎日「楽しいことはないかな。うれしいことはないかな」と探していれば、気がつけばいつの間にか喜びばかりが見えてくるようになろう。そんな小さな喜びに囲まれていることに気づけば、さらに大きな喜びも感じることになる。それこそが幸せの種になる。


喜びと悲しみ 楽しいことがあると、体が喜びでいっぱいになる。悲しいことが起こると全てが涙に変わる。どんなに泣いても、涙は後から後から溢れてくる。そのような時は手首を切ればいい。悲しみと共に涙が溢れ出し、空っぽになれる。空っぽになると再び喜びが溢れることはなくなる。それだけは忘れない。

自己暗示法 疲れた時に「頑張らなきゃ、頑張らなきゃ…」。気持ちが落ち込みそうな時に「負けてたまるか、負けてたまるか…」という風に。繰り返し自分に言うことによって、自分の気持ちをその方向に誘導していく。これが自己暗示法。自己暗示について有名な事実がある。それはマイナスの言葉はそれだけで力を持つことである。例えば暑くて暑くてどうしようもない時、「暑くない、暑くない…」と繰り返すと、例え「ない」と否定していても、「暑い」という言葉が、それだけで意識に強く刻み込まれてしまう。

だからこのような時は「涼しい、涼しい…」と自分にとってプラスの言葉のみを繰り返すのがよい。尤も「クーラー買って、クーラー買って…」と繰り返す方が効果的かもしれない。言葉はそれだけで力を持つ。「つらい、つらい、つらい…。でも、がんばらなきゃ…」と最後にいくら否定して気持ちを盛り上げても、最初に繰り返された言葉は、あなたの頭に重くのしかかる。だからせめて意識のあるうちは、自分からプラスの言葉で暗示を繰り返して心を正の方向に導きたい。

あなたが誰かとデートしていた。そんな時に、相手から一言。「私って、肌が汚いでしょう?」。あなたは「そんなことないよ…」と思った。さあ、あなたは何と答えるか。1「綺麗だよ」。2「汚くないよ。だってニキビだってほとんどないし、肌荒れも少ないでしょう?」。3「でも、目はかわいいよね」。この中で最悪の選択肢はどれか。

答えは2である。言った本人は、論理的に相手の悩みを消してあげようとしている。しかしこの文の中に「汚い」「ニキビ」「肌荒れと3つものマイナスな言葉が入っている。これでは、言われた相手は、そのキーワードが強く心に残って、ますます不安をかきたてられる。すると当然次のセリフは「そうかなぁ…。でも…」となる。こんな会話を続けていたら、相手の気持ちも沈んでいく。結局返事をしている方は問題解決に夢中になっているだけである。相手の気持ちを忘れたくない。

1のように論理が全くなくても、3のように露骨にすりかえてしまっていてもいいから、積極的にプラスの言葉を口に出す。繰り返される暗示の言葉で、論理的な言葉の数十倍は、相手の心が癒される。悩みはない方がいいが、必ずしも完全に消す必要はない。消そうとあせればあせるほどに、自然にマイナスなキーワードが連発されて、深みにはまっしまう虞がある。

デートの時間も、自分の貴重な人生の時間も、失われたら二度と戻らない。科学の論文討議会ではないのだから、何かを根本的に解決する必要なんて全くない。苦しみや悩みが依然としてそこにあっても、今を楽しむことができないとは限らない。少し目を開くだけで、世界中はプラスの言葉に満ち溢れているのに気づくはず。喜び。遊ぶ。笑う。良かった。ありがとう。幸せ。大好き。優しい。安らか。綺麗。気持ちいい。爽やか。健康。夜明け。輝き…。どれを選んでもいい。


内向性 外交的に見える人も自分では内向的と思っている場合が多い。外へ出て喋る時は、自然に外交的になるものである。しかし自己評価してみると結局、内向的な外向性を演じている程度である。外向性を演技することに無理を感じるならば、自分の内向性と演技を利用して相手に多くを語らせるのがよい。人の話をよく聞くことは大切だと感じる。プロなら本来の自分が内向的であろうと外向的であろうと、必要に応じて必要な見せ方をしなければならない。できないのであれば練習する。

精神病 精神病の原因は、未だ、明らかにされていない。それ故、甘えから病気になるとか本人に責任があるとは、言えない。精神病はほとんどが15歳から100人に1人の割合で発病する。あなたを含め、誰もが発病する可能性がある。精神病は脳の病気で、本人に全く責任はない。環境や、悪い家族が発病の原因であるという説は、今やすたれた学説である。双子の片方だけが精神病という実例を挙げれば充分だろう。刑務所、留置所に収容されている精神病者の割合は1割にも満たない。ほとんどの精神病者が、事件も起こさず、普通に生活している。犯罪を犯すのはごく稀である。

神経症neurosis 精神的原因による心の不調で精神病とされるほど重くない状態である。精神的な原因で起き、原因が除去されれば症状もなくなる機能障害である。心理療法、行動療法等、心の手当てが必要である。強度の潔癖症は脅迫神経症によくある症状で抗欝薬とかSSRI、行動療法など治療法はある。日常生活に差し障りがあるほどなら精神科医に相談した方がよい。軽度のものなら慣れと心の持ちようでどうにかなるのではないだろうか。

強迫性人格障害 秩序、完全主義、精神面および対人関係の統制にとらわれ、柔軟性、開放性、効率性が犠牲にされる。 成人早期に始まり、種々の状況で明らかになる。以下のうち4つ(又はそれ以上)で示される。1.活動の主要点が見失われるまでに、細目、規制、一覧表、順序、構成、予定表にしばられる。2.課題の達成を妨げるような完全主義を示す。例:自分自身の過度に厳密な基準が満たされない という理由で1つの計画を完成させることができない。3.娯楽や友人関係を犠牲にしてまで仕事と生産性に過剰にのめりこむ。明白な経済的必要性はない。

4.道徳、倫理、価値観についての事柄に、過度に誠実で良心的かつ融通がきかない。5.感傷的な意味のない物の場合でも、使い古した、または価値のないものを捨てることができない。6.他人が自分のやるやり方に従わない限り、仕事をまかせることができない。また一緒に仕事をすることができない。7.自分のためにも他人のためにも、ケチなお金の使い方をする。お金は将来の破局に備えて貯めるべきだという歪んだ信念を持っている。8.堅さと頑固さを示す。


医療 ただ死んでいないだけの、薬で意識を止められ、生存日数の引き伸ばしをされてるだけの状態は生きていると言えるだろうか。家族がもう止めてくれ、と哀願するのを逆に医者が説得して、ただ論文のためのデータを取るためだけに生かして置くことは、人体実験であり非人道的である。痛みと苦しみを取るのは医者の大事な仕事だが、残念ながらそのレベルは大したことない。ベッドで延命措置して生かすだけが医療ではない。医者はこれまで治療のみを考えて、患者の苦痛除去には無頓着だった。大いに反省すべきである。

顔のマッサージ 肌の細胞のすみずみまで酸素や栄養がゆきわたり、老廃物や二酸化炭素の排出機能も高まって、肌のにごりが消え、保湿力アップ。気になる目尻のしわやシミさえも消え去り、新陳代謝を高め角質肥厚を防ぐのでふかふかと柔らかい肌になる。さらに、陰包(インポウ)=大腿部(もも前面)の膝内側から上指5本のところにあるツボは、「回春のツボ」と言われ、あぐらをかいてその辺りをほぐすと効果倍増。マッサージを習慣づけている人の肌は「ツヤ」と「透明感」がまるで違う。

肩凝り 姿勢の悪さ、運動不足、眼精疲労、ストレスが原因となる。こうした要因がもとで筋肉が疲労し、血液の循環が悪くなり肩が凝ってしまう。肩が凝ると、頭が痛いし、腰も重く、体全体に影響がある。運動不足というより、全くしていないし、姿勢も悪いし、パソコンを毎日毎日見てるわけだし…そういう人は肩が凝るのも当然といえば当然。でも、ちょっと普段の生活に気を使うだけで、改善されることもある。毎日のごはんの食材も重要である。

<肩凝りにいい食材>疲労物質をためない食材:納豆などの豆類、梅干等。血液の循環をよくする食材:トマト、セロリ、ネギ類等。ストレスを和らげる食材:ユズ、シソなどの香草類。睡眠も十分とって、お風呂に入り体を温めることも重要な事。後は、適度な運動とゆーっくり自分の時間を作ってあげることが大切。マッサージチェアが真剣に欲しい今日この頃。場所とるのが難点&移動させるにも重い。

コンピューター作業の連続で肩のこる人は、両手を水平にのばし、左右の手のひらを互い違いに上下に向け、うんっと伸びてみましょう。首の骨の両側を後ろから刺激し、外側に向かってちょうど気持ちの良いところを刺激するのも、こりの解消に役立つ。


風邪を引かないためには体調の問題。寒い時に無理をして薄着をすれば風邪を引くのは当たり前。汗をかいたら下着から取り替える。外から帰ったらうがいをしてのどのごみを取り去る。また栄養価の高いものを食べ体力の消耗を防ぐ。体の皮膚が寒さのためにまたは老化のために呼吸をするのが少なくなって、回りの温度に対抗できなくなる。では、寒い季節に皮膚を鍛えるにはどうすればよいかというとサウナに入り水風呂で体の新陳代謝を促せばよい。毎日とはいいませんが仕事で疲れたらリラックスする程度でもよい。風邪を引いては幸運も舞い降りてこなくなるのではないだろうか?
月経痛 若い女性の月経痛が増加しているという。10人中7、8人は月経痛があるとする見解もある。電車に乗っている女性が辛そうな表情で電話している声が偶然耳に入ってた。「月経痛がひどくて…会社に遅れて行きます」。青白い顔色で苦痛の表情。服装を見ると膝上のスカートに薄地のソックス、ミュール、手にはコンビニのおにぎりにペットボトルの麦茶。

月経痛にもいろいろなタイプがあります。冷えによるもの、子宮の未成熟、お血(汚い滞った血)、子宮内膜症(これもお血)。上の電車の女性のように体を冷やす服装や食事をしていれば月経痛は余計にひどくなる。月経痛みのある女性は不妊予備軍でもある。見てくれや外面を着飾るのではなく、自分自身の体に目をむけてみるのも大切である。


不老長寿の薬 アメリカのある博士がショウジョウバエと言うハエの実験をしたところ、偶然、寿命が他のものより2倍近い系統を発見した。このハエの遺伝子を調べたところ、ある特定の遺伝子に変異が起こると寿命が延びることを突き止めた。

「遺伝子に変異が起こる」などと言うと、ガンなどの悪い病気がイメージされるが、この「Indy」と名付けられた遺伝子に限っては、変異が起きても寿命を延ばす以外の副作用が無く、更に若々しさを維持する作用もあるらしいという。実は人間などほ乳類にも「Indy」と似た遺伝子があるため、今後の「不老長寿の薬の開発」の糸口になるかもしれないと言われてる。


頭痛 頭痛は、いわゆる頭痛持ちの頭痛と急性の頭痛があって、それを区別する必要がある。医者が「いつもの頭痛ですか」と聞くのもそのためである。慢性頭痛、いわゆる頭痛持ちの頭痛は、一般に片頭痛、緊張型、群発頭痛に分類される。尤も片頭痛と緊張型を同じもの、分けがたいものとする見解もある。片頭痛と緊張型の両方の症状がある患者が多いためである。

典型的な片頭痛は月に2、3度、夕立みたいに突然激しく痛くなり、4時間から3日間位持続した後はカラッと治ってしまうものだが、現実にはそのような人はほとんどいない。多くは片頭痛の間に肩こりや頭重の症状がみられる。これを片頭痛と思って頻繁に、鎮静剤を飲んでいると薬剤誘発性頭痛が起こるケースがある。この薬剤誘発性頭痛はあまり知られていない。

偏頭痛がきた。初め、目がチカチカして綺麗なプリズムが現れ、ドッカ〜〜ンと頭痛と吐き気がするん。この頭痛は一週間続く。あ〜嫌だ、嫌だ。


交感神経の影響 交感神経の働きが鈍ると、食事による産熱、安静時の代謝などが低下して体のエネルギー消費が落ち込みます。またインスリンの分泌濃度も高くなり脂肪蓄積も進みます。無形の神経の働きがこれ程に重要である。

経口妊娠中絶薬 先日米食品医薬品局FDAは、経口妊娠中絶薬の米国内の販売禁止の措置を解除すると発表した。避妊薬は輸入代行でも購入できる。アメリカでは、以前から「事後の避妊薬プリベン」が処方されている。プリベンは不本意な妊娠から女性を守るための薬である。

投与 本来の意味は、医療に関わるものが薬を患者に与えること。これに対して[処方]とは患者の病気に応じて医薬品の調合や服用法を指示すること。


カルテ(ドイツ語:Karte) 医師が患者ごとに作成する診療記簿、診療録、診察簿。医師法により五年間の保存が義務づけられている。

MRSA, methicillin-resistant staphylococcus aureus メチシリン耐性黄色葡萄(ぶどう)球菌。黄色ブドウ球菌の変異体。メチシリンなどの抗生物質に対する耐性がある。化膿性疾患、肺炎、敗血症等、院内感染の原因となる。

厚生大臣の承認 医薬品の製造又は輸入をしようとする者は、当該物品が医薬品として適当である旨の厚生大臣の承認を受けなければならない(薬事法14, 23)。「医薬品の名称、成分、分量、用法、容量、効能、効果、副作用等を審査し、医薬品として適当である場合に品目ごとに製造又は輸入の承認が与えられる」(高橋正春・医療関係者のための法律要覧(春秋社1984)88)。

バイオプレート治療 約60年前にアメリカの物理学者グゼイが立証した人間のかみ合わせの理論であるクオードラントセオレムが発展し、今日では、マウスピース状のバイオプレートと呼ばれるものを歯にはめ、かみ合わせを正常に調整することで、低位咬合症候群の病状や類似の病気の約70%を緩和もしくは治癒に至らしめる事が、2万人以上の症例で確認されている。このバイオプレート治療は、薬もメスも要らず、副作用もなく、自分の体を自分の脳で治す21世紀の医療と呼ばれている。バイオプレートは、現代人に共通した低位咬合による脳の機能低下を回復させるので、現在健康な方でも脳の機能を自分本来の状態に戻す。この事が意味するものは重要である。

睡眠不足 日中の眠気、うたたね、情緒不安定、イライラ、ストレス、不安感、体重増加、免疫低下…。これらは睡眠不足の症状の一部。さらに集中力、記憶力、創造力、コミュニケーションスキルが低下し、生産性に深刻な悪影響を与えることも。これらの症状に慣れっこになってしまい、睡眠を十分に取り、意識が明瞭な状態がどんなものかを知らない人も多数いる。

網膜 網膜に写る像は上下逆である。では何故その像を知覚するときは正常なのだろうか。答えは脳が勝手に解釈するからである。このことを実験するのに「プリズムグラス」が作られた。これは、太陽光を波長により色分けする(虹が見える)ものとは別で、メガネなのだが、かけると上下逆に見える、つまり網膜には正常に映る。

視力 文部省の「学校保健統計調査」では、「矯正しないと日常生活に支障がある」視力 0.3以下は、中学生21,2%=5人に1人(87年度調査 15,0%)、高校生34,2%=3人に1人(87年度調査 27,3%)。しかも「矯正予備軍」とみられる視力 1,0未満者は、幼稚園児23,1%、中学生49,2%、小学生26,3%、高校生63,2%。子供達等のテレビを見る時間が長時間化したり長時間ゲームをしたりしていることが視力低下の一因となっている。目の異常を訴える人は、毎年増加(インターネット、TVゲーム、長距離運転)。かつての老眼年齢50歳半ばから現代では40歳からが危険ゾーン。

近視矯正Laser in situ Keratomileusis, LASIK手術 最新の屈折矯正手術で、世界中で行われている。しかし全ての近視(乱視)がLASIK手術で治せるわけではない。眼科医はLASIK手術を安全に受けることができる人、眼の病気や職業上受けてはいけない人をはっきりと選別する必要がある。


白い歯 以前に「芸能人は歯が命」というコピーがあったが、芸能人の笑顔を輝せている大きなポイントは白い歯。輝く白い歯は美しさと健康の象徴である。最近は、電動歯ブラシや歯間ブラシがちょっとしたブームで白い歯に対する意識が高まってきている。流行に敏感な女の子らは歯のマニュキュアにもトライ。白い歯は身だしなみの一つになってきた。そしてより白く健康で美しい歯にする専門の治療「審美歯科」が注目を集めている。審美歯科とは虫歯の治療、歯石を取り除いたり、歯並びを矯正する etc. 通常の歯科で行っている治療+αの治療が行えるところ。歯の変色、出っ歯や、乱食い歯、歯肉の黒ずみなど、歯や口元に関する全ての事について美しさをプラスした治療を行なう。

しゃっくり 横隔膜の痙攣がもとで起こるので、しゃっくりが止まらなくなったら、期門と膈兪の2つのツボを刺激すれば止まる。期門(キモン)はみぞおちから肋骨のヘリを斜めに下がって行き、乳頭から垂直に下がった延長線とぶつかるあたり。膈兪(カクユ)は第7胸椎の真下から左右にそれぞれ親指1本半のところ。他には、息をとめてみたり、水などをゆっくりとるとしばらくしておさまる。

紫外線が体に与える影響 日焼け、白肌…とつい肌の表面への影響ばかりを考えてしまいがちだが、紫外線は肌の外観だけでなく、体にも影響を与える。といっても悪い影響ばかりではなく、「日光浴が健康にいい」というように体に良い影響も与える。

◎プラスポイント◎ 皮膚に紫外線があたることで、ビタミンDがつくられる。ビタミンDは体内に吸収され、骨を丈夫にする。また、血行を良くし、新陳代謝を促進するため、皮膚の機能を高める。血中の酸素吸収能力や体の免疫機能を高める効果もある。適度な日光浴はアトピー性皮膚炎など、アレルギーの治療にも用いられている。日光にあたることによってストレスを緩和させたりリラックス効果も得られる。お天気の良い日を屋外で過ごすと、とても気持ちがいいことからも、太陽のパワーで元気になっていることがわかる。

◎注意したいポイント◎ 体にいい「日光浴」は30分程度で十分。過剰に紫外線を浴びると紫外線によるダメージを受ける。適度な日光浴は免疫機能を高める効果があるが、過度に紫外線を浴びると、逆に免疫力が低下する。これは体の免疫に関係する細胞が紫外線によって減少することが原因で、夏バテや夏風邪を引き起こしたりする場合もある。長時間屋外で過ごすと、疲労感を感じることがあるが、その原因の一つが紫外線である。

紫外線が目に与えるダメージとして白内障が挙げらる。目に入ってきた紫外線は水晶体が吸収するが、紫外線によって発生する”活性酸素”の量が多いと、これが水晶体を濁らせる。水晶体が濁った結果、視界がぼやけたり、目の中に入る光の量が調節できなくなり、ものすごいまぶしさを感じるようになる。ひどい場合は目が見えなくなることもある。

紫外線が肌に与える影響には老化現象、シミ・シワがある。紫外線が原因の光老化がこれらを進行させる。紫外線を浴びつづけることで、本来は紫外線が肌の中に入ってくるのをバリアするメラノサイトの機能がバランスを崩し、過剰に分泌され続けてしまうと、それがいずれシミになる。一度できてしまったシミは放っておくとそのままお肌に定着する。そして、シワの原因となるのがUVA。肌の深部まで届いてしまうUVAは真皮に溝を作る。真皮そのものを傷つけてしまうので、なかなか治りにくくやっかい。また、日焼けによる乾燥もシワの大きな原因。水分を失った肌は細かいシワを刻む。

白肌 紫外線による光老化を防ぐためには日焼けをしないのが一番。外出時は日焼け止めを塗る。なるべく肌を日光に露出しない(長袖、帽子、サングラスの着用)。着用する衣類は濃い色のほうが紫外線カットの効果がある。逆に白い色の洋服は紫外線を通してしまう。

日焼け 日焼けをする前に確認したいのが、自分の肌タイプ。日焼けは紫外線のダメージから肌を守るために、メラニン色素が分泌されるためお肌が黒く見える状態である。このとき、黒くならないで赤くなる場合があるが、これは肌が紫外線を守りきれていないことを意味する。これは生まれ持った肌タイプに左右されるところが多く、お肌を守るメラニン色素を分泌しにくい肌タイプの人は日焼けを勧められない。

肌は新陳代謝を繰り返し、常に新しく生まれ変わっている。この新陳代謝(ターンオーバー)が正常に行われていれば、日焼けをしてしまったお肌も新しい皮膚に生まれ変わる。紫外線から肌を守ってこんがり肌に見せていたメラニン色素もこのターンオーバーと共にはがれおち、日焼けが継続的に行われなければ、お肌も光老化の影響をあまり受けないで、元の元気な状態に戻る。一年中トースト肌でいたいのも山々ですが、お肌を元の状態に戻してあげるのも大事なこと。太陽がまぶしい季節にトーストお肌を楽しんだら、ゆっくり肌を休めてあげる。

After Care 日焼け後の肌はとてもデリケート。万が一、こんがりお肌のつもりがひりひりやけど肌になってしまった場合、通常のやけどと同様、しっかりお肌を冷やして炎症を鎮める。やけどをしたとき、素早く皮膚を冷やすことで水ぶくれややけど跡を防ぐことができるのと同じ。カーマイルローションなどでお肌を冷やして鎮静し、ダメージを最小限に抑える。また、肌の新陳代謝を促進してあげることもいつも以上に重要。最近はホワイトニングパックの種類も豊富。お肌を焼いたあと、女性の方は特に、気になるお顔にホワイトニングパックが勧められる。また、しっかり保湿することで乾燥によるシミも防止できる。

日焼け肌を再生する食品には、ビタミンBを多く含む、レバーやサバ、イワシがある。又、メラニンの生成を抑える、抗酸化効果があるビタミンCを多く含む、フルーツ(いちごや柑橘類)・野菜(ピーマンやブロッコリ)。抗酸化物質を多く含む夏野菜(さやいんげん、えだまめ、なすなど)。※野菜は紫外線を浴びると、紫外線から自らを守るために抗酸化物質を多く作る。太陽の光をたっぷりと浴びた夏野菜は日焼けに負けない体をつくるために積極的に摂る。

日焼け後の保湿といえば、アロエローション。アロエの保湿エキスたっぷりのジェルやローションは効果的です。また、日焼けの直後はウォーターミストでたっぷりの水分を補給すると、ほてりが鎮まり、肌の乾燥も抑えられる。それから、日焼けした後に入浴する際はお湯の温度に注意する。熱いお湯は焼けて乾燥した肌をさらに乾燥させるし、炎症を悪化させて、肌の再生を遅らせる。


花粉症 花粉症の人にとって憂うつな季節がやってきた。寒さが緩んでくると、一斉に、しかも大量に飛散する可能性がある。花粉症になると、目がちかちか、鼻はずるずる…。鼻をかみすぎて、鼻のまわりがただれてしまうこともある。それはメンソレータム薬用リップスティック。メンタム効果で、鼻もすっとするし、なんといってもリップなので手軽にぬれる。結構、鼻水が止まったりする。  

便秘 健康な方でも3キロの宿便があり、便秘の方はその2倍以上あるという。この宿便が溜まっていると余分なカロリーが吸収され代謝も悪くなり悪循環の繰り返しになる。便秘にはセンナが効くとされるが、常習的に使うと体内のカリウムが不足し、便を押し出す力を低下させいっそう悪化させる恐れがある。

天然ハーブ ギムネマ=糖分の消化吸収を抑制し血糖値の上昇を押さえる。グアバ実=脂肪の消化吸収を低下、空腹感を紛らす作用も。カモミール=発汗作用があり基礎代謝を高める。グアバ葉=糖尿病に使われる、インシュリンと同じ働きがある。ビタミンB群が非常に多く含まれ、その他ビタミンC、Uも含まれている。山査子さんざし=次のような効用があるとされる。クエン酸が多く含まれているので食欲増進、消化吸収を助ける。ミネラルが多く含まれているので、コレステロールを正常にし過剰な脂質を減少させ る。血液を浄化したり血液循環をよくする働きがある。有害な過酸化脂質の分解を促進する作用もある。

エビスグサ=腎臓病、肝臓病、高血圧症、二日酔、強壮、利尿、便秘、胃腸病、眼病、婦人病などの症状に効果がある。オレンジピール=お茶に加えると甘みがつき、口当たりがよくなる。香りには睡眠効果があるといわれ、気分をリラックスさせてくれる。ドクダミ=便秘・鼻炎・蓄膿・糖尿病・更年期障害・高(低)血圧・肩凝り・胃腸障害・喘息・肝臓病・動脈硬化・腎臓病・眼精疲労・痔疾・体質改善等。キダチアロエ=愛称医者いらず。便秘・二日酔い(速効性あり)、糖尿病、高血圧、ガン予防、更年期障害、整腸作用、肝機能増強、神経痛・関節炎等、様々な症状に効果がある。

カキの葉=ビタミンCが多く含まれており免疫力向上や動脈硬化防止に効果がある。貧血、歯槽膿漏、高血圧、糖尿病等にも効果がある。カワラケツメイ=多くのタンニンやフラボノイドを含んでいる。効能としては、利尿、便秘改善、整腸作用等がある。杜仲葉=杜仲の葉にはカルシウム・リン・マグネシウム・カリウム・鉄・亜鉛・マンガン等の 身体に欠かせないミネラル類の元素が豊富に含まれている。血圧を緩やかに降下させ、血行障害を改善する。利尿効果があり、腎臓病にも治癒効果、リウマチや神経痛のような関節痛に対して効果。鎮痛剤としても認められる。


ビール酵母ダイエット 新聞・雑誌・テレビ等でビール酵母ダイエット話題になり、今売れに売れている商品。◆効果の方は実証済み。TVで放映してから「やせた」「体脂肪が減った」等々のお声が番組にたくさん届き、その反響の多さにびっくりしている。薬局薬店や健康食品ショップでは、品薄状態が続き殆どの方が手に入れる事が出来ないという事態に。 しかしあの味が苦手で続かない…あのザラッとした感触が苦手…、あの独特のにおいが…。この点、天然地ビール乾燥粉末酵母は苦味が抑えられていて食べやすい。粒子が細かく、ヨーグルトに溶けやすい。副原料を一切使用しない、麦芽100%のビールから作られている。毎日食べるものだから、品質にはこだわりたい。

これを朝食・昼食の1食か2食に置きかえる。夕食は、お好きな物を好きなだけお召し上がり頂いても構わない。ストレスを溜めない為にも、ここではしっかりと食べよう。食事の代わりにお召し上がりいただくことで、空腹感が減少する。ビール酵母ダイエットをしていると、段々と胃も小さくなり、夕食も少量で満足出来る様になる。


朋万漢ほうばんかん 究極の栄養補助食品。※ @免疫の強化、A病気の予防、B病気の回復、C体内リズムの調節、D老化の抑制に効果有り。すべての栄養素が専門家によってきちんと計算され、それぞれの原材料(成分)がお互いの良さを打ち消し合うことなく、53種類分の効果がこれ一本で期待できる。

身長 文部省は20世紀の100年間で17才の平均身長が男子で12.9cm、女子で11.1cm伸びていると発表した。17才は大人としての体格がほぼ完成する時期だから、これは「子供の身長」と言うより「大人の身長」になる。この調査によれば17才男子の平均身長は157.9cm(1900年)から170.8cm(2000年)、同じく女子の平均身長は147.0cm(1900年)から158.1cm(2000年)となった。ちなみに100年前の17才女子の平均身長は現在の11才とほぼ同じ。

しかしその一方で足の長さ(身長から座高をひいたもの)は、男子が79.5cmで100年前の74.1cmより5.4cm長く、女子は72.7cmで100年前の68.7cmより4.0cm長くなっただけにとどまり、身長に対する足の長さのパーセンテージは男子で46.9%(1900年)から46.5%(2000年)、女子で46.7%(1900年)から46.0%(2000年)と、むしろ「あしなが」から遠ざかる結果となった。身長の伸びについて文部省は「肉類や卵、牛乳などを豊富にとるようになって栄養状態が大きく改善したため」と分析している。


恋愛
恋愛は人生の中の永遠のテーマ。新しく人を好きになったというより、これまで自分の気持ちに気づいていなかった。気持ちを伝えられない。上手くどころか、何も話せない。気がつけば遠くへ。ああ、あの時、今更悔やんでも。さあ、これからは・・・結局、同じ事の繰り返しかな。恋する私の決断は、全て正しいとは思うのだが、時々自信喪失してしまう。一生思われ続けるのは、思われる方は負担と言うか気持悪いと思う。

メールで知り合ったまだ見ぬ恋人に寄せる想い。憧れ。密かにそして激しく湧き上がる想い。心の中にある思いのすべてをラブレターに託し今日もあなたに送り届ける。恋している時は、1日ワクワクして張り合いもでる。心に栄養を補給している感じである。「親しい人、愛するものほど、思い描けないのかもしれない」(川端康成・千羽鶴)。「われわれを恋愛から救うものは理性よりもむしろ多忙である」(芥川龍之介)。夜景が君の瞳に流れる時、刹那の衝動は、永遠の愛に変わる。

初めて海に行った二人がビーチの端から端まで歩いたら幸福になる。これはおまじないという理論武装したツーショットの散歩の誘い(清水京武他「真夏の胸キュン大作戦」フロム・エーT32(2000)E)。男の子とは全く違うけど、女の子にも性欲や性行動はある。そろそろ、女の子が自己主張してもいい時代では。

好き 誰かのことを好きとか嫌いって何を基準に決めているのだろうか。好きとはどういうことだろうか。イメージ、尊敬、面白い、楽しい、気持ちいい、お金、地位。自分が持っていないものを欲しがるのか。自分と同じものを持っていて共感するのか。どちらにせよ欲することと変わりないのであろうか。なぜ交際するのか。種の保存のために生殖したいがために好きになるのか。保存のために好きになるとしても、その人のことを何故好きになるのか。

正しい言葉は要らない。乾いた笑顔も要らない。大切なのは好きであること。レッグウォーマー、靴に引っ掛けて転んだり、まつ毛片方取れたりして、学んでいくこと。生と死は裏側で強くくっついている。薬品の匂いと太陽の匂い、ひかれるものはいつも正反対。愛は冬眠中。


自分に酔っている 恋人を本当に好いているのだろうか。その人を好きな自分に酔っているだけではないだろうか。高村光太郎の、正気を失ってしまった妻に対しての変わらぬ思いを綴った「智恵子抄」は、アガペーには及ばなくとも限りなくそれに近いものを感じる。「智恵子抄」には本物の愛とは何があっても決して変わらぬものだというメッセージ性を世間に普遍せしめるという点に於いても深い意味を持つ。果たしてそれほどの覚悟があって恋愛をしているだろうか。恋をしている自分に酔っているだけではないのか。その恋人が難病になろうとも、バクチに手を出して莫大な借金をこさえようとも愛していけるだろうか。

軽い気持ちで恋愛の世界に片足を突っ込んで、好きよ好きよと言っている自分に酔っているだけだ。甘くて安っぽい。それが見て取れるから白けてしょうがない。「大好きだった人」と別れて、また別の相手を見つけ、同じように好きよ好きよと言い、また別れては同じように相手を見つけ、好きよ好きよを繰り返す、そんな浮ついた恋愛模様が巷を駆けめぐっている。愚かだ。浅はかだ。自己に向けて欺瞞を並べ立てて、自らそれを真実だと必死に思いこもうとしている様は滑稽を通り越して哀れである。


あなたを好きになった。 悲しみばかりの世の中だが、愛する気持ちも大切にしたい。眠れないなら私とずっと一緒にいよう。退屈な私に欠伸をしないで付き合ってくれた人は、あなたが初めて。ずっと一緒にいて下さい。貴方の前で素直になれるならもうとっくになっている。

住む世界が違いすぎる人を好きになった すごく忙しい人で、「会いたい」との一言も相手の負担になりそうで言えない。今日こそは勇気を出して「会いたい」と言ってみようかな。多分断られるだろうけど…。勇気を出してメールを送ってみた。本当は電話したかったが、仕事の邪魔をしたら悪いから。会えなくてもいいから過労死だけはしないで欲しい。もし断られても、今回の行動で勇気がついたと思う。

言葉 言葉がなければ私はあなたに存在すら伝えられなかった。言葉がなければ私はあなたの存在すら知らないままだった。そして恋というものもなかった。私の直接的な言葉にはまったく触れず、あなたは言葉を返してくれる。振り向かないあなたに私はますます夢中になる。あなたは確かに知っている。最後の一行、言葉の人質。返してほしくば愛して下さい。独りよがりの独占欲、そう遠くない先のこと。公正取引委員会ににらまれる私でありたい。

目の前の機械より複雑な体がしなやかに動いてまた動く。絶え間なく動く君がたまらなく好きだ。キウイフルーツを食べる。フォークを握る指が空を刺す。その濡れたくちびるが動いて私の名を繰り返す。私は君の発した言葉をサラサラと拾い集めて歌を歌う。

あなたらしいといったのは確かに私の迂闊だった。自分らしいとか、ありのままにとかむやみな自己肯定を実は好まない。そのままの君でいてとか、素顔のままでとか押しつけがましいから実は好まない。私はあなたを知らない。それを認めたくないためにとりあえずいいかげんな知ったかぶりをした。自分らしさを失っていた私を恥じるけれどあなたに謝りはしない。だって私を混乱させたのは他ならぬあなたなのだから。こんな私を許してはだめだ。くしゃみ一つしてもあなたに「呼びましたか」と聞きそうだ。


気づかないふりをしている のほほんと生きている。怒った顔も好き。はまっているのは私だけ。あなたの長いまつげにも選ぶ権利はあなたのもの。照れ隠しもお手の物。産まれた意味を教えてよ。レベルが上なのはどっち。幸せはどこにあるの。かなり難しい問題だけど、常にあなたでいっぱいよ。たった一言で泣けてくる。 ねえ気付いてよ。私がどうして欲しいか分かってよ。私の心の中を抱き締めて。ねぇ気付きたいの。あなたが私に何を求めてるか。あなたの心の中を教えてよ。そしたら全部叶えるから。あなたの心は手に取るように分かるのに、あなた自身は手に入らない。わかるだけ無駄と知りつつも、そっと手にとることを辞められない。

優しいあなた 静まりかえる。あなたが鉄を打つからだ。水たまりを踏む足。あなたは舞い上がり、そのいくつかはソラへと還る。そしていつかまた私へと降りてくる。今日私に触れたあなたはきっと久しく再会したあなた。あなたがいると誰もが自分をみつめてしまう。今日も至る所であなたが優しい。

染色 地の底の難破船がふんわりとした羽に包まれ、地上へと心地よく引き上げられたような感覚で、どんな喩えにも当てはまらない快感が忘れられない。嗚呼、神様は私を見放してはいなかった。何色にも染められることのなかった織物が、あなた色に染められていく。悪戯であってもいい、この色に染まろうか。あの色、この色と探しても出会ったことのないその色に、命を賭けて、燃やし尽きるまで染められてしまおうか。天から舞い降りてきた救世主のように織り成す色は、あなた色。今、染められ始めている。

ポップキス この陽気なポップキスさえ、巣穴に籠もった見えない田園に照りつけるキャンディ。悲しみに沈む田園は死んだ。あなたに乗って青空を突っ走る。あなたを動かす方法を、あなたをやりこめる方法を知っている。私はあなたを食べた。そしたら、血は膨れ上がってお腹はいっぱいになった。切ないのは、切れないから。やっとのところで繋がっているクモの糸より更に細いから。いっそ切れてしまえばいい。風にのって飛んで行けばいい。あの日私があなたを見なければ私はあなたを食べたりしなかった。

トキメキ 互いの心が密かに寄り添う。恥じらい。惑い。尚も惹かれ激情に溺れる。あなたの手のぬくもり、抱かれる胸の厚みを 思い出す。その溢れる情熱に包まれたら、もう離れることはない。あなたがいない夜、あなただけいて欲しい。互いの唇重ねあい、捻り合う。恥じらいから激情。何もかも忘れてただ波に溺れる。あなたの体重が重い。シガミツク大きな背中に爪の跡が三筋いや四筋。その快楽に包まれながらもう眠ることはない。あなたがいると眠れない。あなたは睡眠のさまたげよ。

あなたの居ない今は明日が欲しい。あなたと居る時は時が止まって欲しいと思う。時はイジワルであなたが居ない時は明日が来るのをじらし、あなたと一緒に居る時は時間が速く過ぎて行く。心に大きく存在してるから寂しくなんかない。いつでも心は満杯。心に抱かれてる。でも逢いたい。

決心 「俺、決心した」。もう聞き飽きた。この人はいつも決心している。「もう電話しない」「しばらく逢わない」「しばらく一人になる」。朝、決心したのに夕方には撤回している。「いろいろ考えたけど逃げるのは やめようと思って」と言い訳もする始末。そういうのは朝令暮改。四字熟語は真理をついている。それで今度は何を決心したのか。「やっぱりおまえしかいない。大事にする」。はいはい、これは朝三暮四。

別れ 私達は振り返らなかった。あの秋の日。二人の背中を呼ぶようにセイタカアワダチ草が風に揺れていた。泣いてはいない。目に埃が入ったせい。こみあげる強がり、黙りこむあなた。離れてゆく。足がつりそうな背伸びをしていても、本当は誰よりも小さかったのかもしれない。本当はすごく弱いのに変に強がって、平気なふりをしていた。

さよなら さよならを笑顔で言えたのは私の最後の強がり。そんなちっぽけなプライドに何の意味があろう。本当はプライドなんか捨てて君に縋り付いて捨てないでと何度でも叫びたかった。でも気付くのが遅かった。君はもう居ない。

メルフレ 素敵なメールフレンドと1年10ヶ月お互い500通以上のメールが交換されている。お互いの宝物としてお互いがMOに残してある。先日PCを再セットアップの緊急事態に、相手のメールはすべてMOに保存したのだが、自分が出したのを誤って削除して、すべて消してしまった。そのことを相手に話したら、自分のMOの月毎に保存してある私のメールをlzhで送ってくれた。その時は、私のメールを大切に保管してくれていると感激した。


ネット恋愛 出逢いと別れ幾千万、電子の杜に涙花。「たまには何処か連れてってよ」と口に出せずにはや半月。今日も不在の我が恋人。淋しい気持ちをネットで紛らす。

ネット交際のポイントは相手をぐいぐいリードしつつも、要所要所で相手に選択肢を与え、会話のような臨場感を演出することである(マコト「ときめくのは会うまでのストーリー作り」SPA!(2000.5.31)48)。メールやチャットで話した人と実際に会って想像した通りだと【運命の人】と感じるらしい。

女性と知り合うことは多くの男性にとって、永遠のテーマである。そしてそれを実現させるために、世の中には多くの手法が存在する。ナンパ、合コン、テレクラ、伝言ダイヤル、出会い系雑誌、パーティー、そして出会い系サイトなどなど。しかしこれら既存の手法で、満足な成果をあげる者は少ない。出会い系サイト一つを例に取ってみても、まずあまりに相手が見つからない現実に直面し、苦労しているのが大半である。女性宛てにメールを書いても返事がこないことも多い。何故なら一人の女性にとても沢山のメールが届くからである。そしてやっとメール相手が見つかったとしても、単なるメール友達で終了するケースが多い。

それもそのはず、出会い系サイトを利用している女性の多くは、匿名性があるが故にやり取りに応じる場合が多く、直接電話で話したり、実際に会ったりすることには消極的である。しかもそれ以前に、現状の出会い系サイトはライバルがあまりにも多く、適正な出会いのチャンスを生むことは困難である。それならば他の出会いメディアを、と考えてみても、高度な技量が必要だったり、多額の費用が必要だったり、サクラの心配があったり、とどれも一長一短で、残念ながら劇的な効果は期待できないものばかりである。


マリッジブルー 結婚が迫っているのに、暗い気分になるというもの。本来は幸福の頂点にあるのに、不安を感じてしまう。はっきりした理由や根拠があるわけではなく、何となく漠然とうまくいくのだろうかと考えてしまったりする。理由がはっきりしていないだけに、不安を解消することもできない。不安の根拠が明らかであれば、それを取り除けば、不安は解消できるが、ただ何となくでは、解消の方法も見つからない。自分は幸福な状態であるということに気付き、それを享受することが大切である。

浮気 浮気はされたことないから分かんないけど(そう思ってるだけかもしれないけど)、浮気って、したら、なんとなく分かるもんだと思ってる。やきもちは焼いてあげるべきか。焼こうと思って焼くものではない。やきもちは義務ではなく、生理現象。焼きすぎると良くない。こんがり焦げちゃう。焼いているのに、焼いていないふりするのも大変。

やきもちを焼かない人のタイプ。相手のことは本当は別にどうでもいい(無関心)。無意識に、相手が自分より他の人を選ぶことはないだろうと感じている(自信過剰)。自分が浮気をしているので、相手もする権利があると思う。もともと物や人に執着しないタイプである(来るもの拒まず、去るもの追わず)。やきもちを焼くのは、あんまりかっこよくないと思っている(プライドの虫)。


若芽 宇宙樹の家に住む、木の若芽は毎日この宇宙樹になる詩を採って暮らしている。木、鳥、花、虫、風、水、土、宇宙、魔法…。今日はどんな食べごろの実がとれるだろうか。なすびときゅうりとトマトのいい色のものを、洗って竹ざるに盛ってみると、野菜はきれいなものと思う。森と草原の香りがしてきた。

エプソムC(2001) 単勝5番人気のアドマイヤカイザー(牡5)が、直線で内を鋭く伸びて快勝した。重賞出走9回目での初勝利、99年10月以来の通算4勝目。初騎乗の芹沢純一騎手は道中は折り合いに専念し、切れ味を存分に引き出した。1番人気ロサードは5着、2番人気グリーンブリッツは18着に敗れた。残り400m。逃げるヒコーキグモをとらえてトーヨーデヘアが先頭に立った瞬間、内でじっと我慢していたアドマイヤカイザーの芹沢騎手が一気にスパートに入った。右ムチを力いっぱい連打し、手綱をグイグイしごく。満を持してのゴーサインだ。鋭い伸びで先行集団に一完歩ごとに迫る。トーヨーデヘアを残り30m地点でかわし、ゴールへ飛び込んだ。

初騎乗で殊勲の芹沢は「引っ掛かる馬と聞いていたので折り合いに専念した。内の馬場のいいところを走れたし、折り合いさえつけば切れるね。いつでもゴーサインを出せるほど手ごたえが良かった。うまくいった」と滴る汗を気持ちよさそうにぬぐった。道中は中団の内で待機。アドマイヤカイザーの持ち味である差し脚を最大限に引き出した。福島記念(ゴーイングスズカ 2000.11)以来の重賞6勝目に「たまには勝つので、これからも応援してください」とジョークも飛び出した。

込山雄太助手は「ホッとした。引っ掛からずにスムーズに走れたことが勝因。コーナーが少ない東京で力を出し切れたね。ケガが相当ひどくて復帰できないかと思っただけにうれしいね」と胸をなで下ろした。橋田満調教師は「芹沢がうまく乗ってくれた。もともと期待していた馬で、やっとこたえてくれたよ」「阪神の2200mは得意とはいえないので出走するかは未定」。

単勝7番人気のトーヨーデヘアが2着に粘り込んだ。道中は好位の内。直線で早めに先頭に立ち、最後はアドマイヤカイザーの末脚に屈したものの3着以下の追撃は封じた。後藤騎手は「今日は勝った馬の方が一枚上だった。並ぶ間もなくかわされたからね。でもブリンカー(遮眼革)の効果はあったし、力を抜かずリズム良く走っていた。今後が楽しみだね」とサバサバした表情だった。

単勝1番人気のロサードは道中、中団の外めを折り合って進んだが、直線追い出されてから思ったほど伸び切れず5着に沈んだ。江田照騎手は「前が止まってくれなかった……」。橋口師も「よく考えてみれば東京では1回しか連対してないんだな。今日もちょこちょこ来てはいるが(直線の)坂がこの馬にはこたえるようや」と語った。次走は7月15日小倉の北九州記念(G3、芝1800m)が濃厚。

ブラックタキシードは、ゴール直前で故障を発症した。16着でゴールしたが「脚元を故障してしまった。仕方ない……」と村田騎手。右前浅屈けん断裂と判明。6月13日付で馬名登録を抹消。今後は北海道苫小牧のノーザンファーム空港牧場で繁殖馬となる。


スピードスケート(2001) ショートトラックの世界選手権第1日は、全州(韓国)で行われ、男子千五百メートルで寺尾悟(トヨタ自動車)が銀メダルを獲得した。寺尾は予選を1位、準決勝を2位で勝ち上がり、決勝では昨年総合優勝の閔龍(韓国)と同じ2分20秒677で2位タイだった。優勝はマーク・ガニョン(カナダ)。西谷岳文(阪南大)、篠原祐剛(山梨学院大)はともに準決勝で敗退した。
パチンコ 現代のパチンコは「釘」ではなく、「コンピュータ」との勝負。しかもパチンコの「大当たり」は1台ごとに独立して発生しているのではなく、実は実質的にはパチンコ店の「中央コンピュータ」によって「大当たり」する台が抽選されて、ホール全体の収支がコントロールされている。

だからこそ本来、同一機種ならばどの台も当たる確率は同じはずなのに、実際には「良く当たる台」と「あまり当たらない台」とが存在し、しかもパチンコ店はそれを毎日、自由に替えることが出来る。従って一昨日、昨日とこの台は何回出た(当たった)かが表示してある店がありますが、だからといって「今日も出る」という事にはならない。パチンコ店が、特定の日に、「モンスターハウスの日」などと銘打って特定の機種だけを良く出るようにする「イベント」などを開催できるのもこのためである。

この毎日の収支管理こそ、パチンコ店長さんたちの一番重要な仕事である。日曜日はパチンコを打つべきではない。プロは日曜日には打たない。ほとんどのパチンコ店の店長さんは、日曜日を「回収日」にしているからである。つまり日曜日には、中央コンピュータの設定を全体的に厳しくしている。実は、パチンコ店の中央コンピュータによる「大当たり」の管理には一定の仕組みがある。その「仕組み」を知れば、今、どの台が大当たりする可能性があり、又、逆に、どの台が当面、大当たりする可能性がほとんど無い、ということが、かなりの確度で判別できることになる。

「大当たり」(初当たり)はシマの部分部分で集団的に連動して発生する。これを「ルーレット」に例えて、簡単に説明する。パチンコを、例えば「0〜36までのルーレットで、もしも玉がうまく”7”に落ちたら大当たり」というゲームだと仮定する。普通に考えれば、当たる確率は常に1/37になる。しかしパチンコ店のパチンコ、つまりコンピュータのルーレットはそうではない。パチンコ店のコンピュータは、電圧をコントロールすることよって、ある一定時間の間には、”7”の幅を極端に狭くして、”7”に玉が落ちるのは実際上ほとんど困難な状態(はまり)を作り出し、又、逆に、ある一定の時間には、”7”の幅を何倍にも大きく広げて、大当たりをプレゼントする。そういう管理である。コンピュータのルーレットだからそれは簡単なことである。

つまり、パチンコ店の中央コンピュータは、各パチンコ台に掛ける電圧を変化させることによって「大当たり」をコントロールして、合法的に、毎日店が設定した通りにホール全体のその日の収支を管理している。その日の収支をどの程度に設定するか、それを決めているのはもちろん店長である。ほとんどの人は、そういう事を何も知らないでパチンコを打っているから、たまたま運良く勝つことがあっても、通算すると結局は負けてしまう。1日分でもあまりに突出した台は避けた方がいい。2日間しょぼい回数の台も避ける。座るならば3番手あたりの台。いくら確率主義とは言っても、「波」は存在する。出すぎた台は…。何でも程々がいい。


社会 「成人式で大暴れした新成人のことが問題になった。わたしは、国会の強行採決や乱闘事件を思い出した。20歳とジーサンという違いはあるものの、幼稚で非常識なことでは似たようなものではないか」(吉田悦子「人間崩壊への道」法学セミナー555(2001))。それでも中高年は新成人のことだけを非難しがちである。このような社会に対して若年層が何ら貢献しようとしないとしても、神すらも非難することはないだろう。若年層は中高年が豊かな老後を送れるようにするために生きているのではない。

いじめ まず、注意しなくてはいけないのは、いじめられっ子は犯罪の被害者であるということである。問題が大きくなったとしてもあくまで被害者である。問題が大きくなって困るのは加害者であるいじめっ子の方である。いじめがあると何故か被害者の人が事を荒立てないようにしたがり、先生などに内密に相談するということがある。しかし、内密にやると、いじめの解決などという面倒な仕事をしたがらない大人は放置する。自分が被害者である問題でさえ、いじめられる人は穏便に解決したがるのだから、周りの人間が見て見ぬふりをしたがるのは当然だろう。いじめる人間は放っておいても絶対に止めない(自分のことを教育に詳しいという大人に限ってそのことを分かっていない)。従って被害者が派手な行動を起こさなければ、加害者も第三者もいじめを止めることはまずない。

今問題になっているいじめは、学校内部でのことが多い。不登校をしていれば自殺することはなかったと思える例は多い。不登校は緊急避難として認められるべきである。不登校ができないのはそれに罪悪感があるためだろう。不登校は全く本人の自由である。周囲の人間、特に家族は不登校に動揺しないことが大切である。

いじめられる方にも非があるというような暴論が他人の痛みを分からない人から出されるが、相手にどんな原因があっても、いじめる必要はない。いじめは、相手が苦しむのを楽しんでいるから、とても暗い。きっと精神年齢が幼稚な人間ほどいじめをするのだろう。幼い子供が昆虫を分解したり、動物を虐待するのと同じ感覚なのだろう。普通は大人になっていくにしたがって、動物虐待はしなくなるが、精神が成長できなかった人は、動物虐待が身近な人間へ標的を変えていく。


ボランティア ボランティアを本業としてやっているのはほんの一握りである。後は自分の時間と、寝る時間を割いてやっている。家族の理解と協力を得てやるべきものである。

黒い日傘 黒い日傘が流行している。黒いから日傘の方に熱が集中して、日焼けしないという効果がある。

風呂敷 風呂敷は大きくもなれば小さくもなるし、形が不揃いでもいいし、一升瓶でも包めるし、中身を出した後邪魔にならないし取っても便利だが、普段は使わない。冠婚葬祭に行く時には持参する。先方から何か渡された時に出せばいい。バッグ持っていってもらえる物だと思っているなんて思われるのは嫌である。


OZWALD BOATENG ガーナ出身でイギリス・ロンドンで育ったオズワルド氏のブランド。サウスゲート・カレッジでファッションを学び、ロンドンで培ったビスポークテーラリングのテクニックと独特の感性から作り出されるスーツは、ニューテーラーと呼ばれる。 日本でも、そのかっこよさがすっかり知られるようになった。

'91年アトリエ開設、サビルロー(注文服)に新しさを持ち込み、一躍話題となる。'95年末にはショップもオープンした。1995年パリコレクションに鮮烈デビュー。彼が名づけた「ビスポーク・クチュール」は、斬新な色使い・デザインと、伝統的なテーラリングを融合した新鮮なコンセプトとして、メンズウェア業界に新しい風を巻き起こしています。

基本的にネクタイの合わせ方は二通りある。一つはスーツなら、モノトーンや同系色で合わせるまとめ方。もう一つは、アクセントとして反対色や色目で抜くという方法。Ozwald本人はやはり、アフリカンブリティッシュと言う事もあり、彼の感性の色使いは、鮮やかな物が多い。欧米のビジネスマンは、人と会う機会が多い人ほど、シャツやネクタイは、色が鮮やかで明るいものを合わせ、相手に明るい印象を与える事をスキルとして考えている。

日本でもここ最近は、ビジネスでもカラーシャツやタイを取り入れる傾向にある。また、インナーアイテムのバリエーションを広げる事により、1着のスーツを何通りものパターンに見せることもできる。 ベーシックでタイトなスーツを、オンタイム・オフタイムでインナーの色目を変え分けてみるのも楽しい。


換気 快適なマンション生活には換気が重要。鉄筋コンクリートの建物は木造住宅とは異なり、気密性が高いので換気には十分注意しなければならない。快晴の日にはできるだけ窓を開放し、押入れの扉なども開けて部屋の隅々まで通気をよくする。換気が不十分となった部屋は、壁や天井にカビが発生したり、押入れの衣類が湿気をもったりする。

リビングの換気ガランを開けて頂くと通気がよくなる。換気扇を使用する場合は必ず開ける。冬季の暖房時こそ、忘れずに換気をする。ガス・石油による暖房時に換気が必要なことは当然である。集合住宅では機密性が高く、一般のガスストーブや石油ストーブの場合、燃えると2H2+O2=2H2O(水)となり、水蒸気が発生し結露の原因となりまるので特に換気が大切。


結露やカビの手入れ 家具は壁面 から少し離す。コンクリート面に付着した水蒸気は結露となりカビが発生しやすくなる。タンス等の家具は出来るだけ壁面から離して空気の流通をよくする。特に外壁に面した位置に押入れがある場合は、出来る限り扉を常に少し開けておくようにする。壁や窓ガラスに結露したときは、早めに乾いた布で拭き取る。レモンで窓を拭くと、レモンの果汁に含まれるクエン酸が、水あかのカルシウム分を分解するので、汚れがよく落ちる。カビが発生したときは、その部分の風通しをよくして乾燥させたうえ、硬めのブラシ等で丁寧に取り除く。換気扇は、時々掃除する。特に台所の換気扇には油が付着するので、こまめに洗うなり掃除する。油が付着すると換気能力の低下及び火災の原因になる。
スチームクリーナー ヨーロッパでは一般的な洗浄器として活用されている。しかし比較的大型・高額のものも多く、なじみの薄い日本では、取り入れるのに若干ハードルがある。特徴は、高温・高圧のスチーム噴射。簡単に言うと、熱く、強いスチームを集中的に噴射させることで、クリーニングすることができる。オーブンの庫内、レンジ台、換気フードの内側などの頑固な油汚れ、なんとなくベタベタする台所の壁や床、食器棚などスチームクリーナーを使えば、従来の方法に比べて比較的簡単にきれいに落とせる。床や畳の掃除にも最適。

しかも、熱いスチームですから頑固な汚れはもちろん、掃除と同時にカビやダニの除去、殺菌効果も望める。化学薬品に対して抵抗力を持つ細菌の多くも熱には弱いので、効果的に除菌ができる。まさに一石二鳥の優れもの。そのうえ、洗剤などの化学品を一切使用せず、水道水だけを使うので環境にやさしく、しかも経済的。化学薬品を利用した殺菌方法に比べて安全性が高く、環境汚染の心配もない。有害な残留物の心配がないので、食材にじかに触れる所でも安心。これからの時代のクリーナーである。


石鹸 私は食器洗いに使っている。合成洗剤を使っていたのだが、ある日、石鹸生活に目覚め、最初は某純石鹸メーカーの粉状の台所石鹸を使っていた。液体洗剤だと防腐剤等の手荒れ成分が入っていると思い、それを避ける為、また、容器からスポンジに洗剤を移す際、直接洗剤に手が触れることをできるだけ避けたい思いから、粉末状の石鹸を選んだ。

が、粉をスポンジに振り掛ける時、飛散した微量の粉に反応してしまい、くしゃみが出てしまう為、また、降り掛けた粉がダマになってしまって使い難かったりした為、身体洗いに使っても大丈夫という文言を信じて、同じ純石鹸メーカーの台所用固形石鹸に替えてみた。

案ずるより生むが易しで、固形の方が粉状の石鹸より、手指には優しい感じだった。双方とも、合成洗剤を使っている時よりもはるかに肌に優しく、手荒れがそれ程気にならなくなり、ビニール手袋も不要になって、純石鹸のすごさに感動した。洗い上がりがよりしっとりとしていて、とてもとても手に優しかった。もちろん、食器の汚れもきっちりととれ、すすぎも手早くできる。

じゃあ、他のメーカーの台所用石鹸はどうなの、と、石鹸愛用者の中で結構メジャーなメーカーのものもいくつか試したものの、特定の原料に反応してしまう私の手指には、最初に試した某純石鹸メーカーの牛脂を主原料とした石鹸しか合わなかった。他のだと、かゆくなったり、赤くなったりして、皮膚が裂けてしまった。


泡で洗顔 魔法の泡立てネット 最近、泡関連商品を探していた。泡が出てくるポンプ、泡製造器などいろいろな泡商品がある。でも、固形石鹸、粘度の高い洗浄剤では、それらは使えない。そんな時、出会ったのがこの商品。使ってみて感激した。150万個も売れているヒット商品と聞いてまたビックリ!この商品のいいところは、泡で洗うととてもやさしく、楽しく洗えるところ。そして、固形石鹸であろうと、液体石鹸であろうと、粘度が高かろうとなんでもOKのところ。そしてこれを使うだけで石鹸の使用感が良くなり、洗うことが楽しくなった。
農業 農業をやるのに農学部を出る必要はない。農業はやってるうちに覚えるし、学校で教えられるものではない。しかし農業をやるときには学ばなければならないことが幾つかある。それは物流などに関する学問です。例えば経営学や農業経済学等である。以前は農家にそのような知識が必要だとは思われていなかった。しかしそのようなことでは消費者により良いものをより安く提供することは不可能である。これからの農業には、経営理念が必要である。農協に頼る時代は終わり、独自の販売経路を作り出さなければやっていけない時代が到来した。

よくテレビなどで、老後は農業でもやりながら田舎で過ごす、という人を特集したり、ドラマなどの演出に使ったりすることがある。しかしここに大きな誤りがある。農業とは土を耕すことによって利益を得ようとすることである。都会から田舎へ出てきても農業が可能な土地はそんなにない。そのため家庭菜園でもやりながら過ごす、といった程度のものになってしまう。家庭菜園とは基本的に利益を家庭内にのみ求める。だから少々不ぞろいでもなんてことはないはずである。しかし少しぐらい傷のついたものでさえ嫌う消費者意識が残っているならば、家庭菜園で出来たものの大半を捨てることになるだろう。

りんごを普通に商品として市場に流通させるためには、打撲・傷がどんなに小さいものであっても許されない。りんごで一番ひび割れが付きやすいのは柄の部分である。基本的にはそこから悪くなるということもないし、まして食うことなどないところだから、関係ないはずなのだが等級がワンランク下がってしまう。葡萄ならば、粉の無くなってしまった物は価格が激減する。


田植え 田植えの方法として、代掻きをして良く田の土を耕運してから田植え機で稲を植えていくのは古いやり方で今の農業には向いていない。代掻きとは稲を手で植えるときに植えやすいようにするために2回耕運機で田んぼを起こす。ここで田の土(粘土)をやわらかくしてから植えなければ手ではとても植えることはできない。

ところが現在の田植え機では手の変わりに鋼鉄の爪を用いて田植えをする。これならば冬の間に固まっていた粘土だろうと苦もなく稲を植えていく。この方法では従来の方法と比べても、代掻きが2回分減る以外にも田植えの際には田に水を張らなくてもいいので、田植えの苦労も半減する。このようなところでのコスト削減が今後日本の米農家の生き残る道だろう。


葡萄 葡萄の苗には自根と接木という2種類がある。自根とは根っがその木の根っこをそのまま使っているということある。接木とは葡萄の木にその本来の根っこではなく別の根っこを接木でつけたもののことを指す。何故このような面倒くさいことをやるのかと言えば、自根では基本的に葡萄が作れないためである。

フランスではワイン用の葡萄の栽培が行われていた。ある時、その葡萄の木が次々と枯れていってしまうという怪現象が起こった。木には虫などは付いていないので原因がわからなかった。しかしよく調べると、枯れてしまった木には根っこにアブラムシがついていて根っこがうまく伸びなくなっていた。そこで試行錯誤の末に考え出した対抗策はヨーロッパの根っこにしか、寄生できないので根っこを交換してしまうということだった。この交換用の根っこにはアメリカ種の葡萄の根っこが使われた。


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